一夜

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一夜

「久しぶり。なかなか来れなくてごめん…」 御影(みかげ)石の墓石の前に立ち春海(はるみ)はそう話しかけて、そっと水を入れた手桶をそばに置いた。 『 高堂家之墓(こうどうけのはか) 』 「あぁ、こんなに汚れちゃって……今、綺麗にするから」 春海は隅の方に鞄を置き、霊園近くの花屋で買った仏花(ぶっか)を置いて掃除を始める。 墓石の周りの雑草を抜き持って来た袋に入れ、墓石に柄杓(ひしゃく)で水をかけスポンジで砂や泥を洗い流していく。いつでも掃除が出来るように、隅っこにポツンと小さな籠でスポンジとタオルが置いてある。隅々まで綺麗に洗い流し、最後にタオルで水気を拭き取って、タオルとスポンジを元の場所に戻した。墓石が太陽に照らされて、キラリと光る。 「ふふっ、綺麗になったね。気持ちいいでしょ」 春海は花立(はなたて)を取り外し、柄杓で水をかけながら綺麗にすすぎ水を入れて元の場所に戻す。左右の花立の間にある水鉢(みずばち)に柄杓で水を注いで、鞄と仏花を取り左右の花立に仏花を立てた。 墓石の前に屈み、鞄の中から細長い箱を出しライターと線香を3本だけ取り出して、線香に火を付けスッと火を消し香炉に置く。 春海は墓石を見上げジッと見つめた後、両手を合わせて目を閉じ、久しぶりに話をする。 (ずっと来れなくてごめんね。今、仕事が忙しくて……って言ったら、また怒られそうだけど…。大丈夫……私は生きてるよ…) そう話していると春海は閉じた(まぶた)を震わせ、ジワリと溢れた涙を目尻から頬へ流し、目を開けて墓石を見上げ震える声で言った。 「でもっ……会いたいよ……雪也(ゆきや)っ……私もそっちに…っ…」 涙を止める事が出来ずに、春海は墓石の前で泣き崩れた。 高堂 雪也。 中條(なかじょう) 春海の婚約者。5年前、2人は雪也が運転する車で婚前旅行に行った帰り、事故に巻き込まれた。雪也はとっさに助手席に身を乗り出し春海を抱き締めて守り、春海が気がつくと、雪也は春海を抱き締めたまま息を引き取っていた。命日は9月3日。1週間後に結婚式を挙げる事になっていた。 「ごめん。ダメだね……雪也が守ってくれた命なのに…ごめん…」 春海はポケットからハンカチを出して涙を拭き、笑顔を見せて立ち上がって言った。 「また来るね…」 春海は霊園を出て電車に乗り、家に帰る途中ふと途中下車して、見知らぬ街を彷徨い軽く食事をし、ふらりとBARに入った。狭い店内は薄暗く、ジャズのBGMが流れている。カウンターの中からマスターが「いらっしゃいませ」と出迎え、春海はカウンター席の端に座った。 カクテルを注文し目の前に置かれて、春海はグラスを持つと一気に飲み干した。 「マスター、同じものを…」 そう言ってグラスを差し出す。春海は三度繰り返し、四度目を注文しようとした時、マスターに止められた。 「お客様、もうそれくらいにされた方が…」 「いいの。今日は酔いたくて……マスターお願い、もう1杯だけ…」 「分かりました。では、もう1杯だけですよ」 「はい…」 4杯目のカクテルを一気に飲み干し、春海はカウンターテーブルに突っ伏した。 「お客様! 大丈夫ですか! お客様…」 春海の耳にマスターの声と、遠くから男性と女性の声が聞こえる。 (マスター、大丈夫……眠いだけ。後ろで声がするのは、テーブル席で飲んでいた子達か……) そんな事を考えていると、段々意識が薄くなって、春海は酔い潰れて寝てしまった。
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