一夜

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ピピピッ、ピピピッ…… 「んっ…んんっ……」 春海は電子音で目を覚まし、目を閉じたまま音を止めようと頭上に手を伸ばす。が、いつもと何かが違う。頭上の手が辺りをまさぐり、異変に気づきハッと目を開け起き上がった。 「えっ……どこ…ここ……」 音が鳴ったまま、春海はしばらく呆然とベッドの上に裸で座っていた。ゆっくりと部屋の中を見回し、鳴り続けている時計に手を伸ばしてアラームの音を止める。その時初めて自分が何も着ていない事に気づき、とっさに手で胸を隠した。 「いっ…」 頭にズキンと痛みが走り、胸を隠した手を今度はこめかみを押さえながらベッドから下りると、ベッドの横に置かれたごみ箱に大量のティッシュと、吐き出した後の残骸が捨てられていた。 「……嘘でしょ。ほんとに誰かに、抱かれたの…? 全然憶えてないよ……あっ、でも……雪也に抱かれていた夢を見てた…っけ」 春海が立ち上がると、確かに少し秘部に違和感が残っている。セックスをしたのならば、5年ぶりだ。雪也が亡くなってから春海は誰とも肌を重ねる事も、付き合う事もなかった。 「っ! マズいっ! 8時過ぎてるっ! 早く帰って仕事に行かないと!」 春海は慌ててソファーに置かれた下着をつけ、背もたれに掛けられたスーツを着た。テーブルの上に残されたメモを手に取り、メッセージを読む。 『ごめん、先に出る。料金は払ってるからそのまま帰りな。090-xxxx-xxxx また会いたい』 「あっ! 急がないと!」 春海はメモをクシャと握り潰しゴミ箱に捨て、慌てて部屋を出てホテルを出た。一体自分が今どこにいるのか分からない春海は携帯を出し、GPSで位置情報を利用しようとしたが情報が漏れる事を恐れ、ラブホテルの名で検索をかける。 すぐにラブホテルの場所が分かり、最寄りの駅に向かった。その駅は春海が途中下車した駅から偶然にも家の方に二駅ほど近く、電車に乗り20分ほどで家に着いた。 家に着くとすぐさまシャワーを浴び、髪を乾かして化粧をし、仕事用のシャツとスーツを着てビジネスバッグを持ち家を出る。車で10分、会社に着き春海はオフィスへ向かった。 中條 春海、33歳。 『ヒカリ出版』主にエンターテイメント方面の雑誌を手掛けている出版社の主任。7年前に主任に就任。様々な方面の担当グループが存在し、それぞれに主任がいる。春海のグループには10名の部下がいて、レジャー方面の取材や記事を書いている。 婚約者であった雪也とは大学3年からの付き合いで、同期の同僚だった。2人の交際は社内でも公認で、結婚や事故の事はもちろん知られている。あくまで5年前の時点で勤務していた社員達だけのはずだが、噂で広まっている事を春海は知っている。 エレベーターに乗り3階に上がる。 「おはようございます。中條主任」 「おはよう…」 「今日、どうしたんですか? いつもより少し遅いですね」 「あぁ、うん……ちょっとね…」 「何ですかぁー? 主任、昨日、何かありましたぁ?」 含み笑いで春海に探りを入れる彼女は、新山(にいやま) (うらら)。 新山 麗、28歳。 勤務歴6年目、春海の部下で春海と雪也の事を知っている1人。ボロボロだった春海を知っていて、今でも心配している。春海の幸せを願っている。 「麗……何もないって。期待しても無駄。無いから…」 「えぇー! 主任……」 エレベーターが3階に到着しドアが開いて、春海達のオフィスに向かう。
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