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「デート、ふいになっちゃったわね」
横合いから聞こえた声に、月人は瞠目する。運ばれていく彼女を見送り、風花は横顔で微笑んでいた。
「気の毒に」
「なんで……」
はっきりと刻まれた嘲笑に、驚いて呟いた月人の前で、風花はするりと制服のポケットから紙切れを取り出す。ピンク色のそれは今朝下駄箱に入れられていた近藤沙織からの手紙だった。
「駄目じゃない。大事な彼女の手紙なくしちゃ」
「彼女じゃないよ」
「知ってる。今日告白される予定だったんだものね」
便箋を広げ蔑むような眼差しでそれを眺めてから、風花は月人を見据える。視線は月人にあてたまま、風花はゆっくりと手にした便箋を裂いた。
「わかってるわよ。つきが迷惑してたことくらい。だから先に手を打ったの。感謝して」
「風花が突き落としたの」
確かめるのは恐ろしい。それでも聞かずにはいられなかった。
風花は夕日に透ける茶色い瞳を細めると、細かく千切った手紙を手近の窓から投げ捨てて振り向いた。
「してないわ。ただ、話をしただけ。月人は来ない、断ってこいって私に頼んできた、眼鏡のこぶたちゃんに付きまとわれて迷惑だって言ってるってね。彼女真っ青になって泣き出して。逃げていこうとして躓いただけ。大丈夫。ここの階段、そんな高くないし」
ねえ、つき。
風花はにっこりと笑って言う。
つきに彼女なんて、いらないわよ。ね。
風花の声が耳に響き渡り、月人は目を覚ます。
少しまどろんだだけだったのに、背中が汗に濡れていた。
今のは夢。でも実際にあったことでもある。
中学三年のときだ。図書委員でよく当番が一緒になった近藤沙織。それほど仲が良かったわけではない。自分は無口でとっつき悪かったし、彼女のことも同じ委員会の一員としてしか思っていなかった。なのに、彼女はなぜか自分に好意を寄せてくれた。はっきり言われてはいなかったけれど、言葉の端々で、そして当番のたびにうれしそうに微笑む彼女を見ていて、かわいいなと思い始めていたのも事実だ。まだ実を結んでいない、でもそれは恋だったと思う。
彼女の背中を押したにせよ,押さなかったにせよ、風花が彼女を排除しようと動いたことだけは間違いがなかった。
実際、近藤沙織はその日を境に不登校になった。
彼女と話をするべきだったのかもしれない。でも、月人にはできなかった。
風花にとって月人は自分の持ち物だ。自分と同じ顔の、けれど中身の出来は落ちる、そして従順な所有物。
その彼女に反旗を翻すような覇気も根性も、月人は持ち合わせていなかったのだから。
風花は自分などより数段頭が切れる。どうすれば優位に立ち、どの人間を味方につければ思い通りになるかを瞬時に計算し、行動に移せる。
親も教師もすでに傀儡と変わらない。そんな中で一体、自分はなにを言えばいいのだろう。近藤沙織の怪我は風花のせいだ、そんなことを言ったところで、誰も信じるわけがない。
事実、近藤沙織が不登校になったのは月人に手酷いやり方で振られたからだ、というおそらくは風花によって流されただろう噂のせいで、中学卒業まで、月人はみなから白い目で見られ続けた。噂を疑う者など誰もいなかった。
それでも月人は口を閉ざし続けた。物心ついたころから気づいているから。逃げ場なんてないことを。
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