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 すっきりと晴れた空を映した海が青く青く光っている。間もなく本格的な冬を迎えるこの時期の海はいつも少しよそよそしいはずだけれど、今日は穏やかな陽光のせいか温かそうに見える。 「この町っていいよね」  駅前の土産物屋で買った魚の身をすりつぶして串に刺して揚げた団子を片手に、ご満悦な様子の彼を横目に見て、月人は不思議に思う。  人殺しの本ばかり書いている人なのに、こうして見るとおいしそうにものを食べるし、笑顔も絶やさない。あまりにもギャップがあり過ぎじゃないだろうか。 「食べ物もおいしいし、景色もよくて気持ちいいし、日帰りで温泉に行けるし。東京じゃこうはいかないよ」 「俺から見たらただの田舎だけど」  何気なく返した言葉があまりにもかわいげなく響いて、月人は自分で言っておいて落ち込む。 「え、と、だから、田舎だから都会の人にはすごく落ち着けるのかも」 「うん」  短く答え、朔夜はひょい、と月人のほうを向く。 「だけど、俺、別に都会の人じゃないよ。もともとはこの辺り出身だし」 「そうなんですか?」 「そう」  笑って朔夜は海風に目を細める。 「だけどまあ、いろいろ疲れてね。こっちに戻ってきたんだ。君の言う通り、都会は心に負担かかったりするから」 「なにか、あったんですか」  思わずそう尋ねてから、月人は口を押えた。出過ぎた質問だった。  が、朔夜は気にした様子もなく、海に顔を向けたまま答えた。 「うーん。雑多過ぎて疲れたのもあるし、少し行き詰まりも感じたのもあるし。気分を変えて小説書くのには環境を変えるのが手っ取り早いからね」 「作家なんですね、本当に」  言うと、ちらっと横目で朔夜がこちらを見た。月人は焦って言い直した。 「疑ってたとかじゃなくて! よく小説とかで小説家が息づまると旅行に出かけたりするから」  本当に疑ってはいない。かじりつくように残酷な本を読み漁る彼の狂気をはらんだ横顔。あれは自分が愛した小説の作者にふさわしい。  月人が知りたいのはただ、彼がなにを思ってあんな小説を書くに至ったのか、疲れたからこちらに戻ってきた、と彼は語ったけれど、疲れさせた原因はなんだったのかだ。語られなかったそこになにかがある、そんな気がした。もっといろいろ話してほしいのに、やっぱり怖くてそんなことは聞けなくて、口を開けば言葉が上滑りしてしまう。  俯いた月人は、しかし次の瞬間飛び上がった。  冷たい指に頬を撫ぜられたから。 「ここ、ついてる」  ひょい、と伸ばした指先で月人の頬を指し示す仕草に月人はやみくもに拳で頬を拭う。わずかにさっき食べたみたらし団子のたれがついた。 「すみません」  かっこ悪すぎだ。  肩を縮め顔を上げずにいたけれど、再び頬に触れられて月人は硬直した。 「なに……」 「あのね」  彼は困ったように首を傾げてみせた。 「俺ね、結構いい加減だけど、そこそこ勘はいい方なんだ」 「はい」  なんの話だろう。  先が読めないまま神妙に頷くと、朔夜は頬に触れていた手を滑らせて月人の額に触れる。 「だから、言われた言葉が本心なのかうっかりなのかくらいは結構読める」  にっこりと微笑んで彼は続けた。 「そんなに緊張しなくても、俺は怒ったりしないよ。だから、もっと話して」  細い指先が風に乱れた月人の前髪を直すのを月人は呆然と見ていた。  心の奥に浮かんだ思い。それをどう言っていいのかわからないけれど、一つ確かなことは、この人に、この火野朔夜という人に触れられた瞬間、月人の心臓がふり幅を超えて胸を叩いたということ。 「その…………」  鼓動の音に声さえ消えてしまいそうになる。月人は必死に口を動かした。 「ありがとうございます……」 「うん」  笑顔で頷き、彼は、さて、と立ち上がる。 「少し歩いたら帰ろうか。冷えてきた」 「火野さん」  やっぱり海は風が強いしね、と続けた彼の背中に月人が声を投げるのと、小さな段差に彼が躓いたのは同時だった。
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