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ふわっと傾いだ彼の体を月人はとっさに腕を伸ばして支える。
とん、と彼の肩が胸に当たる。さらりと黒い髪が月人の頬をわずかにかする。
支えた肩の思った以上の細さに月人は驚愕した。
明るくて、大人で。なのに、支えた肩はとても細くて頼りなかった。
十二歳も年上の人なのに。
「ごめん」
胸の辺りで彼が小さく謝る。恥ずかしそうにこちらを見た彼の目に青い空が映り込む。
青い空なんて別にそれほど好きじゃない。でも、彼の目の中にある青はこれまで見たことがないくらい澄んで美しく見えた。
こんな目の人が誰かを憎むなんて、本当にあるのか。
初めて会ったときにも思ったことをまた思う。
するりと月人から離れて歩き出そうとした彼の腕を、月人は思わず掴んだ。
驚いたようにこちらを見た彼に、月人は自分で引き止めておいて動揺した。
どうしよう、と思ったけれども月人は勇気を振り絞って言った。
「聞きたいこと、あって」
「なに?」
軽い口調で返され、月人は一度唇を噛んだ。
「殺したい人がいるって言ってましたよね。それ、今も続行中なんですか」
彼は黙って月人を見上げている。長く黙ってから、彼はゆっくりと唇に笑みを刻んだ。
「ああ、続行中だよ」
黒い大きな目が月人をまっすぐに見つめる。
「君は?」
問いかけられ、月人は首を傾げる。
「この間も聞かれましたけど、俺は別に、殺したい人なんて」
言いかけて月人は口を噤む。青い空を宿した瞳がじっと月人を映す。
防波堤を叩く波の音だけが耳を震わせる。
「火野さんは、どうしてその人を殺したいの」
掠れた声で問うと、彼は白い面に冴え冴えとした笑みを浮かべてみせた。
「そんなの」
するりと月人の腕を軽い仕草で解き、朔夜はひらりと月人から身を引く。
「俺の小説読んだらわかるだろ」
酷薄な笑みを唇に刻んだまま、彼はコートのポケットに手を入れる。彼の羽織った黒い薄手のコートの裾が海風にあおられてはためいた。
「誰かを、奪われたから?」
「大事な人を、奪われたから」
ゆっくりと訂正し、彼は背中を向ける。その彼を月人はとっさに、待って、と呼び止めた。
このまま行かせたら、なんだかもう会えないような、そんな気がしてしまったから。
「また、会ってもらえませんか。こんな風に」
振り向いた彼の顔に笑みはない。
「駄目、ですか」
黙ったままの彼に緊張のあまり息苦しさを覚えながら問いを重ねると、朔夜は小さく笑みをこぼした。
「変なの」
風の中で目を細めた彼は穏やかに言った。
「連絡先、教えたよね。それは連絡していいってことだし、今日誘ったのは俺だし。君がそんな緊張することないのに」
確かにそうなのだろうけれども。
なんだか妙に恥ずかしい。月人は真っ赤になって横を向いた。
「火野さんは、意地悪だ」
「それはどうも」
あっさりと言って、朔夜は月人に手を差し伸べた。
「おいで。本当に風冷たくなってきたし。風邪引いちゃうよ」
どんな顔をしていいのだか本当にわからない。
いたたまれなくて逃げ出したいような気さえしてしまうのに。
それでも、月人は彼の手を取る。
この人は不思議な人だ。なにを考えているのかまったく掴めない。でもその心の奥にあるものを見てみたい。
恐る恐る重ねた彼の手が冷たくて、月人は思わず手に力を込める。ふっと目を見張った彼に月人はぶっきらぼうに言った。
「手、冷たかったから。こうすれば少しは温かくなるかと思って」
朔夜は驚いたように月人を見つめてから、ゆっくりと目元を和ませて囁いた。
「行こうか」
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