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え、と聞き返すと、朔夜は、言ってなかったっけ、と逆に驚いた顔をした。
「確かに小説も書いてるけどそんなベストセラー作家じゃないし。普段は予備校で講師したり、ときどき頼まれて家庭教師のバイトしたりしてる。まあ予備校のほうは、俺は臨時扱いだから、授業のコマ数分だけ給料もらう感じだけど。でも教えるのはそこそこうまいと思うよ」
「そうなんだ」
「がっかりした? 作家なんてこんなもんだって」
あっけらかんと言ってから、朔夜は、さて、と腰を上げる。
「ごはん、食べに行かない?」
朔夜と会うのはもっぱら土曜日だった。それ以外の日に彼を図書館で見かけることがなかったから普段はなにをしているのかと思っていたのだが、予備校の講師だとは思わなかった。
「講師ってなにを教えてるの。やっぱり国語とか?」
「いや、数学」
「火野さんってさっぱりわかんない」
「なんで」
笑って、朔夜は強い風から目をかばうように軽く額を抑えながら月人を見た。
「こう見えても理数系なんだよ。大学、理学部だったし」
「それがなんで小説家?」
ぼそりと呟いたとき、ふっと朔夜が足を止める。なに、とそちらを見ると、朔夜は通りの向こうを見つめて、残念、と呟いた。
「行きたかった店、閉まってる。今日定休日だったの忘れてた」
信号を渡ってすぐのところの定食屋らしき店が目当ての店だったらしい。そうなんだ、と返すと、彼はこちらを見上げていきなり言った。
「実は俺の家、すぐそこなんだけど」
「…………はい」
「昨日カレー作ったのが結構あるんだけど。食べにくる?」
黙りこくった月人を彼はきょとんとした顔で見上げる。数秒押し黙ってから、月人は声を絞り出した。
「あの、少しは警戒心を持ったほうがいいと思う」
「警戒心? なぜ」
「襲いかかるかもしれませんよ」
朔夜はまじまじと月人を見つめる。穴が開くほどこちらを凝視してから、彼は笑い出した。
「いや、待って。子供がなにを言い出すかと思ったら。大丈夫、取って食ったりしないよ」
「そうじゃなくて、あんたに俺が、って意味なんですけど」
まじめくさって言うと、朔夜はなおも笑い転げた。そこまで笑われるとかなり傷つく。黙り込んだ月人の前で、さんざん笑ってから、朔夜はぽんぽんと月人の肩を叩いた。
「はいはい。もしそうなったらちゃんと殴らせてもらうし」
「本気にしてない」
「してるしてる」
くすくすと笑いながら、彼はひょいと月人の腕を取った。
「襲いかかっても呼んだのはこっちの責任なので気にしなくていいよ」
ここまで警戒されてないとそれはそれでむかつく。が、そんな月人の様子になどお構いなく、朔夜は月人の腕を引いて横断歩道を渡った。
「誰でもこんな風に簡単に家に呼んじゃうんですか」
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