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時計を見上げ、月人は大きく伸びをする。
深夜一時。
仕事柄、編集部に泊まり込むことは当たり前だ。が、食事も忘れて記事を書いていたので頭が少しふらふらする。
コンビニでも行くか、と立ち上がったとき、机の隅に置いていたスマホに電話着信の画面が表示されているのに気づいた。無心になっていたので気づかなかった。
画面を起動してみて、月人は首を傾げた。
鳥海風花の名前が十件もある。
ただごとじゃない。
が、時間が遅すぎる。かけようかどうしようか迷っていると、スマホが震えだした。
「はい」
『遅い』
不機嫌そうな風花の声に、月人は後ろ頭をかく。
「ああ、ごめん。仕事で」
『仕事以外で私の電話に出ないんだとしたら承知しないわよ』
相変わらずだ。やれやれと肩をすくめ、月人は忠告してみた。
「風花、そんなんだと倉科さんにも振られるよ」
『にも、ってなに? 今までは私から断ったの』
膨れた顔が目に浮かぶ。月人は軽く噴きだして椅子に腰を下ろす。
「まあ、倉科さんは大人だし、風花のわがままくらい笑って許してくれそうだけどね」
倉科司は風花の恋人で、風花より三歳年上の銀行員だ。固い職業の人だが、おおらかでちょっとやそっとのことでは動じない。気ままでわがままな風花の言葉にも左右されない彼は、風花とお似合いだと思う。
『あんたのほうこそ、まだ探してるの』
何気ない風に彼女は言ったけれど、風花がわずかに緊張しているのが伝わる。
風花にとって朔夜は今でも恐ろしい人で、でも、同時に会いたいと思う人でもあるようだった。
…………あの人がいなければ、多分、月人とこんな風に話すことはなかったわね。
あの一件の後、風花はそう零していたから。
性格はそんな簡単に変えることはできなかったけれど、あの一件は風花にとって大きな変化をもたらした。周囲の声に耳を傾けること、自己保身はなにも産まないことを彼女は知ったのだ。
「ああ、探してるよ」
目を伏せて答えると、風花は一瞬黙ってから、あのね、と言った。
『私、司にプロポーズされたの』
「本当に!」
『そんな嘘言わないし』
むっつりと言い返してきた風花に、月人は心から言った。
「おめでとう。よかったな」
『一番に、月人に言いたかったの。自慢、したかったのよ』
やっぱり風花だ。そうか、と笑うと、風花はふっと一瞬口を噤んだ。
「風花?」
『プロポーズのことが一番言いたかったことだけど。少し、気になったことがあって』
「なに?」
電話越しに言いよどむ気配がする。やけにはっきりしない。ずばずば言う彼女にしては珍しい。
「なにさ」
笑ってせかすと、風花はふうっと息を吸って吐いた。
『さっき、有紀が写真送ってくれたの。ほら、あの子、今、彼氏と旅行行ってて』
「うん」
但馬有紀は、大学時代の風花の友人だ。いわゆるカメラ女子でなんでもかんでも写真に撮りたがるちょっと変人だが、風花とは妙にうまがあったらしく、大学卒業後も交流があるようだった。
『それ、送るから、見てみて』
「なに? どういうこと?」
問いかけると、風花は言った。
『あの人、今、長崎にいるんじゃないかな』
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