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 翌朝、空港へ向かうタクシーの中で月人は三条に電話をかけた。まだ早朝だし出ないかもしれないと思ったが、彼はコール一回で電話に出た。 「朝早くすみません。鳥海です」 『ああ、鳥海くん』  せかせかと名前を呼ばれ、月人は申し訳ない気分になる。自分と同じく出版社勤務の彼のことだ。きっとこんな時間だろうと仕事をしていたに違いない。 「すみません、お忙しそうなところ。用件だけ……」 『君に、電話しようって思ってた』  切羽詰まった口調で遮られ、月人は首を傾げた。 「三条さん?」 『朔夜から、連絡があったよ』 「いつですか⁈」  声が裏返る。手元の書類をばさばさとめくる音が電話の向こうではしている。 『一昨日。すぐ気づけばよかったがすまない。遠方の作家さんのところに行ってて、昨日の夜帰ってきたばっかりで、郵便物を確認したのが夜中だったものだから』 「それはいいです! 朔夜はなんて……」 『水原芹として、原稿を送ってきた。読んでくれって。それだけしか添え状にはなかったけれど』  鳥海くん、と三条に名を呼ばれ、月人ははっとする。 『少し、時間をもらえないか。朝早く申し訳ないと思うが、この原稿、君が読むべきだと思う』  水原芹の新しい小説。月人に異論があるはずがなかった。  途中のインターで折り返し、三条の会社の前で降りると、三条は常の彼には珍しく走ってエントランスを出てきた。 「すまなかった。こんな朝早く」 「いえ」  言葉少なく首を振ると、三条は手にした封筒を差し出した。 「コピーで悪いんだが、これ。読んだら戻してくれる。さすがに出版前の原稿だからね」 「……はい……すみません……」  震える手で受け取り、月人は三条に問いかけた。 「これ、三条さんは読みましたか」 「読んだよ。おかげで寝不足だ」  確かにいつもくっきりとした切れ長の彼の目が今日は厚ぼったく腫れている。軽く瞼をもんでから三条は晴れ晴れとした顔をした。 「でも、それだけの価値はあった。水原芹の新境地ってところかな」 「……それ……」 「自分で読んでみて」  ぽん、と肩を叩かれる。月人をじっと見つめて、彼は囁いた。 「あいつが書きたかったもの、読んでやって」  にこりと微笑んだ彼の顔を見て月人はふと気づく。 時々、感じてはいた。でもいつもあまりに淡々としているから、気のせいかと思っていたけれど。 「三条さんは……俺が、憎くないですか」
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