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「塾?」 「学習塾の先生でよ。今日は土曜日だし、六時には来るんじゃなか」  つっかけを引きずって室内へ戻りながら、彼女は月人を振り返る。 「待っていくかね」 「あ、ええと……」  見知らぬ人の家で待たせてもらうのは気が引ける。が、ここですれ違ってしまうのは断じてごめんだった。  鈴木、という名前が引っかかるが、とにかく会ってみなければならない。別人の可能性だってあるが、もしそうなら一から探し直しをしなければならないことがはっきりする。 「すみません、お邪魔させていただいてよろしいですか」  頭を下げると、彼女は再びにんまり笑って月人を手招いた。  のれんをからげて通された畳敷きの部屋で、月人は再び考え込み始めた。  水原芹が郵便を出してきたのは間違いなくあの郵便局だ。そうするともしも鈴木という人物が別人だった場合、あんな顔の人間がこの近辺に二人もいるということだ。そんなことがあり得るだろうか。  あり得ない。  月人は首を振る。老女の淹れてくれたお茶をいただきます、と口に運びながら、月人はふうっと息を吐く。  緊張してきた。  あれから七年だ。しかも最後の別れ方を思えば、こんな風に会いに来ていいものじゃないのかもしれない。でも。  月人はそっと鞄を抑える。  自分は会わなければならない。三条に託された思い。背中を押してくれた風花の思い。  なによりも。  車のエンジン音が聞こえ、月人ははっと顔を上げる。帰ってきたようだね、と老女がよっこいしょと腰を上げる。  緊張のあまり息苦しい。湯呑みのお茶をぐい、と飲み干したとき、表からにぎやかな声が聞こえてきた。 「ばあちゃん、ただいまー。つかれたー」 「これ、将太、先生にお礼ば言ったんかね。送ってもらっておいて」  老女がたしなめると、子供の声が、言ってなーい、と悪びれた風もなく返る。まったく、とぼやいた老女が大声で言う。 「先生、先生に用があるって人が待っとるとよ」 「用? 誰だろ」  声に、月人は反射的に立ち上がった。
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