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 レンタカーどうしようかな、と一瞬思ったが、ここで逃げられるほうが本末転倒だ。おとなしく助手席に収まると、朔夜は乱暴に車を発進させた。  曲がりくねった道も臆することなくハンドルをするすると回して運転する彼の横顔を、月人はそろそろと覗う。  七年という歳月が経っていたが、彼の容姿には時の陰りは見られなかった。相変わらず触れたら切れそうなほど美しい。笑顔の一つも見せず、前だけ見ている今の顏なんて、本当に、最初に出会ったときと同じだ。図書館で必死に本にかじりついていたあの時となにも変わらない。  車の中、気詰まりな沈黙だけがあったけれど、彼は口を開こうとしなかった。無言で車を走らせ続けた彼は、灯台の角を曲がりすぐのところにあった赤い屋根の家の脇に、車を乗り入れた。 「降りて」  素っ気なく言いドアを開けて先に出る彼の態度にさすがにむっとしたが、月人は黙って従った。  赤い屋根に白い壁。二階建てのその家の門扉には「鈴木」の表札と共に、手作りらしい「鈴木学習塾」という看板が下がっている。  ずんずんと歩を進めた彼は、月人の視線を無視して玄関の鍵を開けると振り向いた。 「入って」  最低限の単語しか言えないのか、この人は、と呆れながら後に続いた月人に、彼は玄関右手にある靴箱からスリッパを出しながら苦い顔をした。 「言っておくけど、家に入れたのは、外で話すのはあまりに人目について面倒臭いと思ったからだから。この辺り、田舎だからすぐ人のうわさになるんだから」 「なにその言い訳じみた台詞」  思わず零すと、ぎっと険しく睨み返される。口を噤むと、朔夜は背中で怒りながら部屋に上がった。月人もスリッパに履き替えて彼の後に続く。  正直、もしや鈴木という苗字は、彼が婿養子にでもなって姓が変わったからじゃないか、と内心不安だったのだが、室内を見てみてその可能性は薄いなと月人は結論づけた。  乱雑であるとかそういうことではないが、家に漂う空気が家族のそれとは違ったからだ。  玄関に上がってすぐのキッチンスペースに月人を通し、朔夜は、座って、と再び単語で命じた。  古ぼけた食卓へつく月人に背を向け、朔夜がやかんを火にかける。怒っているくせにお茶だけは淹れてくれるつもりのようだ。  七年前あんな別れ方をしたのに、そんなことをしてくれる辺りが、なんというか。  小さく笑うと、不機嫌そうに朔夜が振り向いた。 「なに」 「いや、変わってないって思って」 「…………君はずいぶん変わったようだけど」
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