白い月と君待つ日々に。

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 いつからだろうか。  一人歩く道が、いやにさみしく思い始めたのは。  空を見上げ、立ち止まることが増えたのは。  移ろう景色と、季節の匂いに、君を重ね始めたのは。  ――ただ、君を待つ日々が続く。  突然の事だった。 「親の転勤が決まったんだ」  プレゼントを用意して、みんなで送別会をして、泣き笑いしながら写真を撮った。  その帰り。 「ずいぶんにぎやかだったなあ」  まだ落ち切っていない日の光が、淡い青や黄色を空に溶かしている。  秋に差しかかり、頬にふれる空気は、ひんやりと冷たい。  彼がとなりから言った。 「ちょっと変な気分」 「そう?」  小さく返すと、彼は、はは、と笑い、続ける。 「だってさ、俺は遠くに行く、ってのに、みんな笑ってんだもん」  ちょっと複雑にもなるだろ、と顔を上げた。  私も同じように顔を上げる尾さあっと流れていく風が、かげった木々とかすかに見える白い月の光を揺らした。  風はやがて、私の少し火照った顔にかかる、前髪すらも強く揺らす。 「……笑うのは、意地だもの」  気づけば口から飛び出していた。 「意地?」 「そう、意地」  彼はゆっくりと進めていた足を止めた。それなら、と口を開く。 「みんな、意地っ張りだな」  私が顔をあげると、彼は一歩前に出て、振り返る。歯を見せて笑う彼に、私もまた、少しだけ口角を上げた。 「そう、かもね」  ――私も、意地っ張りなんだろうか。  ほんの少し目線を落とす。それは別に、悪い事じゃないのに。なぜだか胸のあたりがざわついた。  再び風が吹く。  ふと、目の前で影が大きく揺れた。 「だけどお前は、違うな」 「え……」 「さっきも今も、ずっと泣きっぱなしだ」  言うなり、私の手を取り頬に当てた。そこに伝う、まだあたたかなしずく。 「うっ、く」 「ったく、泣き虫だなあ」  気づいてしまえば、抑えることなどできなかった。  一つ、また一つと落ちていくしずくに、目の前の彼は苦々しく笑う。 「きっと、泣くなよ、って言うのが、正しいんだろうけど」  少しかがんで、私の顔をのぞき込むと、月より白い歯を見せて笑った。 「俺はやっぱ、泣いてくれるお前が好きだわ」  かげで見えないが、今彼は、顔を赤くしているのだろうか。  ……私は、赤くなっているのだろうか。 「わ、私は、」  ぐっとこぶしを作って目元を乱暴に拭う。 「私はそう言うあんたがきらい、だいっきらい」  言葉とは裏腹に、ぽろぽろと落ちていくしずくが、服に、地面に、吸い込まれていく。 「アハハ! そっか」  彼はついにふき出して笑い、それから、触れたままの手をぎゅっと握った。 「じゃあ、好かれるように勉強する」  それから、もう片方の手を私の背中に回した。 「だから、忘れんなよ――」  ひときわ強い風が吹き、木々を揺らす。  もうすっかり明るくなり始めた月が顔をのぞかせたとき、私はふと、笑みをこぼした。 「あったりまえでしょ」  熱すぎる温度から逃げるように、とん、と彼を押しのけて、手を放す。 「早く、迎えに来なさいよ」 「おうよ」  やがて二人、また歩き出した。  赤いような、黄色いような、まん丸い太陽はもう見えない。  代わりに輝きを増す月が、ひどく、青くて美しかった。  数年後。  私は一人電車を降りて、田んぼがそこかしこにある田舎へと来た。  肩には女子らしからぬ黒いリュックサック。首にはもうずいぶん一緒に旅をしている、相棒の一眼レフをかけて。 「うーん、いい景色」  カメラをなでながら、向かいのホームへと目をやる。  ちょうど反対側が、改札口で、その先には、一人の男性が立っている。  彼が、私に気づいて片手をあげた。特徴的だった白い歯は、ここからでもよく見える。 「おせえぞっ」  大きな体から発せられた大声が辺りに響き、ぶはっと笑った。 「そう言うなら、あんたが迎えに来なさいよねっ」  言いつつ、あちらにつながる階段を上った。  今はまだ、朝七時半。  朝焼けも過ぎた青い空は、だんだんと高くなる太陽を落とさないように、雲をはべらせている。  だが、あの日のように、白い月がそこに浮かんでいた。  どこか誇らしげに、しかし輝きを失い、やがて溶けるように青空と雲に隠れ、見えなくなった。
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