リーマン・ラッシュ

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「それにさ、お前も昨日のあれ、見ただろ。部長が田中さんを怒鳴り散らしてたの。俺の情報によると、あれは田中さんが退職直前だからさ、上の命令で田中さんに圧力をかけて仕事のミスを増やして、積立金を減らそうとしてるらしいぜ」 「そんな馬鹿な」 「今の時代、従業員が減るのは会社としてもマズイもんな。テレビでも毎日言ってるしな、超高齢化社会、とかさ。七十歳なんてのは、まだまだ現役の労働世代なんだと」 「七十歳は立派な老人だよ」 「まあ、住むところを奪われたくなかったら、俺たちも必死で働くしかねえな」  そう言うと、滝岡は手帳を再び懐にしまい、じゃあな、と手をひらひらとさせて、トイレから出て行った。その後ろ姿は、散々言いたいことだけ言って去っていく、言い逃げ犯そのものだった。 「住むところを奪われたくなかったら、か」  私は意味もなく、滝岡の言葉を独り言つ。それは、比喩でも何でもない、そのままの意味であった。サラリーマンが仕事を辞められず、それこそ死ぬまで働かせられるのは、文字通り『住居』を人質に取られているからだった。 「てめえ、いったい何回言ったらんかんだよ!あ?」  事務所に戻ると、飛び込んで来たのは、腰が曲がった老人が、恰幅のいい中年男性に責め立てられる、そんな場面だった。  より具体的に言うと、昨日に続き、部長が田中さんを叱りつけていた。 「そもそもなあ、パソコンの文字を打つのが遅えんだよ、あ?」 「すみません、目が悪いもので」  田中さんは、奴隷が主人に対してほんの些細な温情を懇願するように、か細い声で部長を見上げた。 「そんなもん言い訳じゃねえか。会社はお前の事情なんか知らねえんだよ。資料、もし期限に間に合わなかったらこれはただごとじゃねえぞ?あ?」 「ただごとじゃないと言いますと…」 「そりゃ、それなりのペナルティは受けて貰わねえと、示しがつかねえわな。分かってんのか?あ?」  そのペナルティ、という言葉に、背の高い木々が強風にざわざわと吹かれるごとく、胸の中を揺さぶられる。    耐え切れず、私は勢いよく席から立ち上がってしまった。
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