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「もう少しだけ一緒にいてくれていたら。私を見捨てないでいてくれていたら」
紺色の傘と、降りしきる雨と、深い霧。去っていくあの人の背中は、暗闇に溶けて少しづつ小さくなった。
最後に彼が胸ポケットから出したのは、美しい女が微笑んだ写真だった。陶器のような白い肌が印象的で、私の目によく焼き付いた。
「待って。待って。行かないで。もう少しだけ一緒にいてくれたら」
私はそう叫び出したかった。
恐らくこの先、彼は後悔するだろう。だからこそ、もう一度だけ考え直させたい。
しかし、私が彼を追いかけることは出来なかった。ただ呆然と彼を眺めることだけ。
それでも、涙は流れない。
三分前、私は期待に胸を膨らませていた。だからこそ考えてしまうのだ。もしあと一分、偶然と偶然が重なり、時計の針が進んでいたのなら、と。
一目惚れだったのに。
今日はクリスマスイブなんだよ。
駅前、中央広場に飾られたイルミネーションとクリスマスツリー。それを見に来た恋人達が顔を火照らせて笑い合う。その光景がここからはよく見えるのだ。
私は毎年、ここで誰かに貰われるのを待っている。
私は彼に届くようにと思いを込め、全身の力を振り絞り、その光達を自分に集めようとした。
その時、女性の透き通った声が聞こえてきた。
「ただいまより、店内商品、全品半額です。特別大セールです」
私はため息をつく素振りをした。
少し、遅かった。
彼女が良かったな。
虚ろな気持ちで、ショーウィンドウから見つめた外の世界には、光沢のかかった赤色の高価なワンピースである私と、それを着たマネキンの姿がうっすらと映っていた。
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