県立 種田西高等学校 3年4組の復活。

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県立 種田西高等学校 3年4組の復活。

 今は残暑厳しめの汗まだシャツ(にじ)む頃合い。  去年の年度末に廃校になった【県立 種田西高等学校】だった校舎に俺達は訪れていた。 「…耐震補強はされてるね」  元同級生の日向愛花(ひなたまなか)の実家は、この町ではちょっと有名な建築会社だ。  家の仕事上の理由か、それとも建築物好きな自身の趣味の延長か、もう生徒も先生も事務員ももう誰も通わない、来年の今頃には総合商業施設(ショッピングモール)に生まれ変わる校舎を正面から見上げている。  彼女によれば、昭和生まれの古い校舎は“アウトフレーム工法”を採用した耐震構造。  即ち各教室や建物を支える柱や梁(フレーム)外側(アウト)に、升目の格子状に張り出させる事で、まるで古い校舎全体を拘束具で固めたように包み地震の揺れに対抗する構造物だよ。と早口の説明をされた。 「ほら♪あたし達が通ってた頃とはだいぶ違うでしょ?」  小柄でショートヘアな彼女が背負っていた小さめのリュックサックを前にくるりと回し、中から一冊のアルバムを取り出した。 【第65期生 卒業記念】  そう金文字で書かれてある厚めの表紙をめくり指差したのは、耐震補強などされていない素の校舎と、あの頃の“彼女(・・)”と(みんな)との写真集。  クラス紹介の一枚目のページには、正門から入ってすぐにある第一校舎が青空をバックに初代の卒業生たちが半年かけて川原石を積み上げ手作りした池を前面にして収まっている。  この池、貰い物の鯉や夜市で誰かが掬ってきた金魚やらメダカとか体系に合わせ大小三分割の生け簀めいた構造をしており、各々の魚が一緒くたにならないよう工夫されていた。  この通称“ひょうたん池”と代々呼ばれていた池を前面に校舎の入り口をバックにして編成されたばかりの3年4組は、初対面の子もいて初々しさをまだ持ったままの姿で銘々(めいめい)好きなポーズをとり、2ページに渡る見開きに先生も含めた36人全員が写真に満面の笑顔で収まっている。  もちろん俺もいる。日向愛花もいる。アイツもあの子も定年退職間近の先生も、そして“彼女”。【川村茉莉亜】も愉しげにピースしながら立っている。  ひとしきり眺めたあと、俺は次のページへと移る。  そこには授業を受けるクラスの様子や春の遠足の模様やミニマラソン。高校生活最後の6月に行われた体育祭のスナップ群に、二泊三日で実施された青年自然の家での大学受験夏季集中授業でうだる様子。  もしも“あの事故(・・)”がなかったら、みんなで一緒に次のページに載せられるはずだった卒業式当日に撮影される記念の集合写真が掲載されていただろうに……。  でも、その先に3年4組のページはなく、次のクラス3年5組に変わるのだ。  お陰で忘れたかった。  なんとかして思い出さないようにしていた懐かしい記憶や楽しかった記憶が、心中で押し寄せる悲しみとなって溢れはじめてしまい、俺はついつい目頭が熱くなってしまって堪らなくなった。 「アルバム。完成させようね。彼女のためにもさ」  そう、日向は俺に肩を寄せながら優しく言い。 「そうなれれば、いいな」  と、俺は静かに応じた。  そして今日はその彼女、川村茉莉亜がここ、県立 種田西高等学校跡に出現するらしいとの情報を同級生のひとりから得て、こうして俺や日向や3年4組の35名は一人も欠けずに学校へと出向き、草生し荒廃の陰が忍び寄る母校へと、みんな順々に足を踏み入れたのだ。      
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