プロローグ

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プロローグ

 高校の近くにある堤防の道沿いに咲く満開の桜を逃すまいと、松村千紗はシャッターを切り続ける。春休み中の今、この道をよく利用する高校生はほぼいない。人通りの少なさが風に飛ばされる桜吹雪を幻想的に見せてくれている。撮り始めたときは桜並木から少し離れた土手の下の河川敷にいたが、舞う桜吹雪の花びらを大きく撮りたくて、千紗は夢中でシャッターを切りながら土手を上っていた。半分くらいまで上ったとき、桜の木の下でキスをするカップルがファインダー越しに目に入った。 「きれい」  カップルがあまりにも美しく絵になっていて、千紗は思わず声に出してしまった。2人が体を離してこちらを向く。彼女のほうは千紗を睨んでいるようだ。 「何、勝手に写真を撮ってんのよ!」  彼女は体の前で腕を組んで大きな声を出した。千紗はカメラをお腹の位置までおろして勢いよく頭を下げた。 「ごめんなさい。桜の木とすごく似合っててキレイだったものですから思わず…」  彼女が千紗の言葉を遮った。 「最悪よ!別れ話された直後の姿を撮られるなんて!データ消してよっ」  え? キスしてたのに別れ話? 千紗は状況が飲み込めきれない。それでもデータは削除しないといけないことは理解した。 「あ、わかりました!すみません。すぐ消しますから安心してください」  千紗の言葉に安心したのかわからないが、彼女は踵を返して立ち去ろうとした。彼氏のほうは眉を下げ、困ったような苦笑いをしている。千紗はその男に見覚えがあった。男に声をかけようとした瞬間、立ち去ろうとしたはずの彼女が振り返って男の頬をひっぱたいた。千紗はドラマを見ている気分になり、呆然としていると、彼女は髪をなびかせて立ち去った。我に返って見覚えのある顔の男に話しかける。 「あの、同じ高校の南大輝くんだよね。」  大輝と呼ばれた男は大きな目をより一層大きく見開いた。左頬を抑えつつ、目線を千紗の足の先から頭の先まで動かす。 「あー、松村さんだっけ?」  大輝は、頬をさすっていた手で頭をかく。さらさらの茶髪にアーモンド形の大きな目、筋の通った鼻、形の良い唇とバランスの整った顔立ちに加え、色白の大輝は、学校一の美人で有名な男子だ。175㎝ほどある身長も顔立ちとのギャップで人気の理由かもしれない。大輝は土手の斜面に腰を下ろして、千紗を見上げてきた。 「なんで制服?登校日だっけ?」  千紗も合わせて左隣に腰を下ろす。大輝の顔をみると、まだ赤い頬を隠すこともなく、人懐っこい笑顔を見せてきた。  この笑顔なら恋に落ちる女子は多いだろうな。 「あー、部室に用があったから。学校行くの、制服じゃないとダメじゃん」  大輝は、顎を動かして返事をし、三角座りをした両ひざに腕を乗せて空を見上げた。千紗も空を見上げる。雲がまばらな青空が広がっていて、春の柔らかな日差しが何とも言えない2人の空間を温かくしてくれている気がした。 「今の、さっきまで付き合ってた彼女。別れようって言ったら、思い出にキスしてくれって言われてキスしてたところを松村に見られたってとこかな。」  同級生とはいえ、2年間同じクラスになることもなく接点もなかった男子の恋バナ、しかも別れ話を聞かされたところで、千紗はどう反応してよいかわからなかった。彼女のほうには見覚えがないから他校生か、年上っぽかったから大学生かもしれない。そんなことを考えながら視線を空から大輝へ移す。美人な横顔が寂しそうに見えた。千紗は気づいたらカメラを構えてシャッターを切っていた。大輝は千紗の方へ顔を向けた。 「何、撮ってんだよ」  口調の割に、大輝の目は笑っている。千紗は空気が和らいだ気がして、カメラを顔の前からおろす。 「ねえ、なんで別れようって思ったの?」  千紗を向いて笑っていた大輝の目は土手の下の河川敷のほうへと向けられた。 「うーん。一緒にいて疲れるから」  はっ?  心の中でつぶやいたと思っていた千紗の声は漏れていたらしい。大輝は苦笑いをしている。 「彼女、バイト先の先輩でさ、美人だし、大学生で、姉御肌でしっかりしてるし、ラクにいられるかなって思たんだよ。でも、俺に理想を押しつけてくるから疲れた」  大輝は足元の草をいじりながらため息をつく。 「一緒にいて疲れない女っているのかな。ま、楽しけりゃいっか」  大輝は何か吹っ切れたように立ち上がる。右手でズボンについた草を払いながら、座っている千紗に左手を伸ばしてきた。 「別れ話なんて初めてじゃないけど気分のいいもんじゃないだろ。話聞いてもらってちょっと気が晴れたよ。サンキュ」  千紗が大輝の手をとると、引っ張って立ち上がらせてくれた。大輝は握っていた手を離して、人懐っこい笑顔を千紗に見せる。 「ま、まだ3人いるし」  大輝は両手を上にあげて伸びをする。千紗は目も口も大きく開いた。 「まだ3人いるって、付き合ってる彼女が3人いるってこと?」  思わず大きな声が出てしまった千紗は驚いた表情のまま、大輝を見上げる。伸びていた両手を下ろして、大輝は少し腰を曲げて千紗の顔をのぞきこんできた。 「え? そうだよ。同じ高校には1人もいないけと」  清々しい表情の大輝を千紗は冷ややかな目で見つめた。
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