苟晞伝

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さらば司馬越。 11. 初,越疑晞與帝有謀,使游騎于成阜間,獲晞使,果得詔令及朝廷書,遂大構疑隙。越出牧豫州以討晞,復下檄說晞罪惡,遣從事中郎楊瑁為兗州,與徐州刺史裴盾共討晞。晞使騎收河南尹潘滔,滔夜遁,及執尚書劉會、侍中程延,斬之。會越薨,盾敗,詔晞為大將軍大都督、督青徐兗豫荊揚六州諸軍事,增邑二萬戶,加黃鉞,先官如故。 (訳) 当初、司馬越は 苟晞と帝の間に謀あるものと疑い 游騎(ゆうき)成皋(せいこう)の間に遣わして 苟晞の使者を捕えさせたところ、 果たせるかな 詔令及び朝廷の書類を手に入れ、 とうとう決定的な疑心と溝が生じた。 司馬越は苟晞を討たんと 州牧として豫州へ出向し、 再び檄文を下して苟晞の罪悪を説くと 従事中郎の楊瑁(ようぼう)を遣わして兗州とし、 徐州刺史の裴盾(はいじゅん)とともに 苟晞を征討した。 苟晞は騎馬を遣わして 河南尹の潘滔を捕えたが、 潘滔は夜に遁走した。 そこで尚書の劉会と 侍中の程延を捕え、これを斬った。 ちょうど司馬越が薨去したため 裴盾は敗走し、 詔によって苟晞は大将軍大都督、 督青徐兗豫荊揚六州諸軍事となり、 食邑は増えて二万戸となり (二万増加した?) 黄鉞を加えられ、 以前の官職は元の通りとなった。 (註釈) 司馬越、死亡。 このあたりで石勒が攻めてきて 皇族は大体殺されるわ 洛陽は落ちてグチャグチャになるわで 西晋王朝は事実上ここで滅亡した。 石勒は司馬越の遺体を暴いて 「天下が乱れたのはこやつのせいだ」 と痛切に罵ったという。 2022.3.31
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