苟晞伝

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12. 晞以京邑荒饉日甚,寇難交至,表請遷都,遣從事中郎劉會領船數十艘,宿衛五百人,獻穀千斛以迎帝。朝臣多有異同。俄而京師陷,晞與王贊屯倉垣。豫章王端及和鬱等東奔晞,晞群官尊端為皇太子,置行台。端承制以晞領太子太傅、都督中外諸軍、錄尚書,自倉垣徙屯蒙城,贊屯陽夏。 (訳) 苟晞は、都邑の飢饉が 日増しに激しくなっている上 賊による攻撃が 交互に至っている事から、 上表して遷都を請願せんと 従事中郎の劉会(りゅうかい)に数十艘の船、 宿衛五百人を統領させて 穀物千斛を献じて帝を迎えた。 朝臣の多くに意見の食い違いが起こり (実行に移せずにいるうちに) 俄かに京師が陥落してしまい、 苟晞は王贊(おうさん)とともに倉垣に駐屯した。 豫章(よしょう)王の司馬端(しばたん)及び和鬱(かうつ)らが 東の苟晞のもとへ落ち延びると、 苟晞ら諸官は司馬端を尊んで 皇太子とし、行台を置いた。 司馬端は承制して 苟晞に太子太傅、都督中外諸軍、 錄尚書を拝領させ、 (苟晞を)倉垣から移して蒙城へ、 王贊を陽夏へ駐屯させた。 (註釈) 「和鬱」は誤記かな? 遷都を申し出る苟晞だったが 皆の意見が纏まらぬうちに とうとう洛陽陥落。 そして展開される 人が人を喰らう地獄絵図。 懐帝は捕まって酒を注がされたうえに 殺されてしまうわ 羊皇后はレイプされて 無理矢理劉曜(りゅうよう)の妻にさせられるわで 西晋の凋落いよいよ ここに極まれりといった風。 苟晞は新たに司馬端を担いで 新政権を立ち上げようとするが…。 遅きに失した感ありあり。 2022.4.1
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