苟晞伝

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八王の狭間に佇む。 1. 苟晞,字道將,河內山陽人也。少為司隸部從事,校尉石鑒深器之。東海王越為侍中,引為通事令史,累遷陽平太守。齊王冏輔政,晞參冏軍事,拜尚書右丞,轉左丞,廉察諸曹,八坐以下皆側目憚之。及冏誅,晞亦坐免。長沙王乂為驃騎將軍,以晞為從事中郎。惠帝征成都王穎,以為北軍中候。及帝還洛陽,晞奔范陽王虓,虓承制用晞行兗州刺史。 (訳) 苟晞(こうき)は字を道将(どうしょう)、河内山陽の人である。 少くして司隷(しれい)部の従事となり、 校尉の石鑒(せきかん)からその器量を重んじられた。 東海王・司馬越の侍中となり、 招引されて通事令史(つうじれいし)となり、 陽平(ようへい)太守に累進した。 斉王・司馬冏(しばけい)が朝政を補佐すると 苟晞は司馬冏の軍事に参画した。 尚書右丞に拝され、左丞に転任して 諸曹の取り調べ、査察の立場となると 八坐以下の者はみな側目して 苟晞の事を憚った。 司馬冏が誅殺されるに及んで 苟晞もまた連座で免官となった。 長沙王・司馬乂(しばがい)は、驃騎将軍となると 苟晞を従事中郎とした。 恵帝が成都王・司馬潁(しばえい)を征伐すると 北軍中候となった。 帝が洛陽へ帰還するに及んで 苟晞は范陽王・司馬虓(しばく)のもとへ走り、 司馬虓は承制して 苟晞を行兗州刺史に用いた。 (註釈) 武帝司馬炎が亡くなったあと、 超グダグダの八王の乱の時期ですね。 もう、流れ見てるとバカバカしくって 八王の事績とかいちいち 覚える気になれません。 (歴史クラスタにあるまじき発言) ど貧乏の出身であり、 バカ八王の間を転々とする苟晞(こうき)。 どいつもこいつもすぐ潰れるから 新しい就職先見つけるのが大変そう。 次回、石勒と初対決。 2022.3.22
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