邵続伝

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滅子奉公。 2. 時天下漸亂,續去縣還家,糾合亡命,得數百人。王浚假續綏集將軍、樂陵太守,屯厭次,以續子乂為督護。續綏懷流散,多歸附之。石勒既破浚,遣乂還招續,續以孤危無援,權附於勒,勒亦以乂為督護。既而段匹磾在薊,遺書要續俱歸元帝,續從之。其下諫曰:「今棄勒歸匹磾,任子危矣。」續垂泣曰:「我出身為國,豈得顧子而為叛臣哉!」遂絕於勒,勒乃害乂。續懼勒攻,先求救於匹磾,匹磾遣弟文鴦救續。文鴦未至,勒已率八千騎圍續。勒素畏鮮卑,又聞文鴦至,乃棄攻具東走。續與文鴦追勒至安陵,不及,虜勒所署官,並驅三千餘家,又遣騎入抄勒北邊,掠常山,亦二千家而還。 (訳) 当時、天下は漸次に乱れ始めており 邵続は(沁水)県を去りて本家へと帰還、 亡命者を糾合して数百人を得た。 王浚は邵続を 仮の綏集(すいしゅう)将軍・楽陵(がくりょう)太守として 厭次(えんじ)に駐屯させ、 邵続の子の邵乂(しょうがい)を督護とした。 邵続は流民を安んじて手懐け、 多くの者が彼に帰順した。 石勒は王浚を破ったあと 邵乂を帰らせて邵続を招いた。 邵続は孤立無援の状況にある事から 石勒に附く事を(はか)り、 石勒の方でもまた邵乂を督護とした。 既に段匹磾(だんひつてい)(けい)にあり、 書状を遣わして邵続とともに 元帝(司馬睿(しばえい))へ帰順する事を要請してきたので 邵続はこの提案に従った。 その配下が諌めて言った。 「今、石勒を棄てて段匹磾に従えば 任子(人質の邵乂)が危ういのでは」 邵続は涙を流して言った。 「我が身を投げ出すは国の為、 どうして子を顧みて 叛逆の臣となれようか!!」 遂に石勒との関係を断ち、 石勒はかくて邵乂を殺害した。 邵続は石勒が攻めてくる事を懼れて 先ず段匹磾に救援を求め、 段匹磾は弟の段文鴦(だんぶんおう)を救援に遣わした。 段文鴦がいまだ至らぬうちに 石勒は已に八千の騎兵を率いて 邵続を包囲していた。 石勒はもとより鮮卑を畏れており、 段文鴦が至った事を聞くと、そこで 攻具を破棄して東へ逃走していった。 邵続と段文鴦は 石勒を追撃して安陵まで至ったが 追いつく事ができず、 石勒の署した官吏を虜とし、 並びに三千余家を駆逐した。 一方で騎兵を 石勒領の北の辺境へ侵入させ 常山を掠奪し、 ここでも二千家を奪い返した。 (註釈) 情勢悪化、司州河内郡から 冀州魏郡まで戻った。 その後王浚の承制(?)で 冀州楽陵国の太守となり 厭次県に駐屯した。 314年に王浚が 石勒の笑裏蔵刀計の前に敗れる。 石勒の母の王氏がもしも 太原王氏だったとしたなら 王浚が油断するのも当然よね。 王浚敗死のあと、邵続は 楽陵で石勒の奇襲を見破って 大破したが、子の邵乂が 石勒に捕まってしまったようで やむなく石勒に帰順。 その後、段匹磾のすすめで 東晋に向かう。 息子の命よりも 国家への奉公を選んだのだ。
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