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海岸は子供の頃から変わらない姿で、今にも私たちを飲み込んでしまいそうな恐ろしさを孕んでいる。海に対する根源的な畏怖はどこから来るものなのだろう。
不意に後ろから抱き締められる。子供の頃のそれと違い抱擁は力強かったが、息が出来ない程でもない。成長と気遣いが見えた。けれど彼の身体は少しだけ震えていた。
「……行くなよ」
……何かが。ほんの少し何かが違っただけで、私はこの人の恋人になっていたかもしれない。しかしそれも仮定の話だ。友達でもない。元カレでもない。彼はこの関係に名前を付けなかったのだから。私を引き留めるだけの何かは持ち得ない。
だからこそ私は、あの人を選んだのだから。
「離して」
冷静さを保ったままそう言い放った。敢えて拒絶の色を織り混ぜた。そうしないと、私はきっと彼に心を許してしまう。身を委ねてしまう。すがり付いて、恥も外聞もなくみっともない姿をさらけ出してしまう。
私たちの心はギザギザしていて。その棘でお互いを傷付けている。歪な形をしたそれが何処かに引っかかって、離れ難くなっている。だけど、何処かで離してしまわなければ。私の棘はより深く貴方に突き刺さって、いつか取り返しがつかない程に、彼を傷付ける。
「もう、私の心は貴方にはない」
突き放した言葉が静寂に落ちた。嘘のようで、嘘ではない言葉。ただ、そう言わないと貴方はきっと私から離れないから。口にした言葉と一緒に身体が砂に沈んでしまうような気がした。足が砂を踏みしめる音とさざなみの音以外の一切の音は途切れた。今なら月の、夜の歌さえ聴くことが出来るだろう。さざなみと、月が水面に揺れる歌を。
「それでも、俺は行ってほしくない」
「貴方にそんな権利はない」
貴方が恥も外聞もなく、みっともなく縋ってくれるなら。今すぐこの関係に名前を付けてくれるなら。恥も外聞もなく、全てを捨てて貴方を選ぶのに。
お願い。そうでないのなら——全てを、終わらせて。
「……もう少しだけ。もう少しだけでいいんだ。このままでいさせてくれ」
彼の応えは最も期待していたものとは違って。心が凪いでいくのを感じる。さざなみの音が大きくなる。それは海から響く音か、それとも私の内側から響く音か。
私を抱き締める彼の腕はずっと震えていた。それが寒さによるものか、何か別の理由があるのか、分からない。まるで割れ物を触るようにそっと、薄い膜で覆われているように、触れるか触れないかの境目を行き来していた。私はその腕を振り払うでもなく握りしめる訳でもなく、ただただ立ち尽くしている。
私たちは夜の歌がさざなみの狭間に消え、静寂になるまでそうしていた。
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