さざなみのはざま、しじま

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 彼は私の姿を認めると何かを話そうとしたが、女子に引っ張られてあっという間に姿を消した。  何も思わなかった訳じゃないけれど、彼女じゃないから怒る資格もない。あの子が彼女だと言うなら、怒られるべきなのは私の方なのだから。どこかへ行くべきなのは私の方だ。 「だから、彼女じゃないんだって。一方的に付きまとわれてるんだ」  翌日、彼は私の部屋で弁明した。眼鏡を外していたから表情の細部までは見えなかったけど、それが嘘ではないことは長い付き合いから窺い知れた。  彼が私の長い黒髪を指で梳かす。こないだの女の子。ふわふわで明るい茶髪をした女の子。小型犬のような分かりやすく愛らしい女の子。捻くれて自分でも気持ちが迷子になってしまう私とは大違いだ。 「別に、言い訳しなくてもいいのに」 「言い訳じゃないよ。本当のことなんだから。お前に誤解されたくないって言ってんの。俺の全部を知ってるのはお前だけなんだから」  全部って何だろう。確かに小さい頃からの記憶や、体の感触だって隅々まで知っているけれど。決して全部なんかではないのに。言葉にしなければ分からないことだってあるのに。肌を重ねただけで全てが分かるだなんて、そんなの傲慢だ。 「じゃあ志望校を変えたことを言わなかったのは何で?」 「それは……忘れてただけだよ。言ったつもりでいたんだ。おばさんには言ったんだけど、聞いてない?」 「……聞いてない。って言うか会話もしてない」  数年前から両親は家庭内別居状態にあり、看護師の母は父と顔を合わせるのを避けるため夜勤の仕事に入った。父は出張が多く、家を空けることが多かった。どちらとも久しく会話を交わしていない。必要事項の連絡を筆談で、封筒の中に入ったお金が渡されるのみだった。必然的に家族よりも誰よりも近かったのが、彼だったのだ。  無意識のうちに、彼に知らないことが増えていくことに我慢がならなくなっていた。その後は体を重ねても、何処か虚しさが募った。貴方は私に全部を渡してなんか、いない。私の全部を、分かってなんかいない。
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