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それは唐突にはじまった。クルマの流れが急停止したのだ。
「わっ! あぶない!」
マイクが叫んで急ブレーキに近い踏み方でトーラスを止めた。シートベルトをしていなかったキャッシーは前のめりになり、もう少しで前のシートにぶつかるところだった。
車内には日本でも、「君の瞳に恋してる」の邦題で大ヒットした、ボーイズタウンギャングの名曲「キャント・テイク・マイ・アイズ・オブ・ユー」が流れている。
「マイク! どうしたの?」
キャッシーはギターを隣席に置いてマイクに声をかけた。
「わからない。クルマの流れが急に止まったんだ。こんな信号もないところで、どうしたんだろう?」
「L市の朝夕の渋滞はひどいってパパが言っていたわ。帰宅時間のラッシュに重なったのじゃない?」
「そうかもしれないけど、こんな急に渋滞になるのかな?」
「あれ? なにか聞こえない? マイク、テープ止めて!」
キャッシーに言われるままに、マイクはカセットテープを止めた。キャッシーは窓を開けて外の様子を見ようとする。
「え? なに!?」
「どうしたんだ?」
マイクも窓を開けて外の様子を確認しようとしたとき、なにかがぶつかるような大きな音がした。続いて怒号と悲鳴。
前のクルマのブレーキランプが消えて、ドライバーがクルマを降りるのがわかった。そのクルマの前から来た数人の男が、金属バットを振り上げてフロントガラスを叩き割り、降りたドライバーにも襲いかかる。なにが起こっているのか理解できない。
「マイク! 逃げないと!」
「あ、ああ! まずい!」
2人はクルマから降りた。するとすでに周りは大混乱の最中だった。
「キャッシー! 走れ!」
マイクに背中を押され、キャッシーは走って逃げようとしたが、後ろのクルマのドアが急に開いて行く道を塞がれる。
「のいて! 早く!」
叫んだ。そのとき後ろからマイクのうめき声が聞こえ、びっくりしたキャッシーは後ろを振り返った。マイクが大男に首を羽交い締めにされているのを見て悲鳴をあげる。
「やめて!」
男は獣のような唸り声をあげて、マイクを投げ飛ばした。
「きゃっ!」
マイクとキャッシーは地面に投げ出され、男は別の白人に殴りかかっていた。
先に立ち上がっマイクがキャッシーを抱き起こそうとしたところ、クルマの陰から飛び出してきた、また別の男に顔面を殴られて転倒した。馬乗りになろうとした男をマイクは蹴り上げ、もつれるように取っ組み合いになった。
「キャッシー! 先に逃げろ!」
マイクが叫んだ。背後から近づいてきた男につかまりそうになったキャッシーは、身を反らせてギリギリでかわし駆け出した。途中振り向いた瞬間、取っ組み合いの相手を振りほどき、必死の形相で走っていくマイクの横顔が見えた。
「マイク!」
周囲の混乱にかき消されたキャッシーの声はマイクの耳に届かず、彼女は危険な街中に1人きりにされてしまったのだ。
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