暴動1日目 ふたりの出会い

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 ・・・1992年4月29日。この日ぼくは、西海岸の大都市L市のサウスセントラルと呼ばれる地区にいた。    普段通っているカリフォルニア州SM市にある、コミュニティカレッジの最寄りのバス停からバスに乗り、途中2度乗り継いでここまで来たのだ。  昨年8月に留学目的でこの大陸の地を踏んでから、毎日が驚きの連続だと、同じように日本から来た東京出身の学生は言っていたけれど、いまだにぼくにはその感覚がない。  もちろん日本とはちがうけれど、文化のちがいはあっても、人の営みの本質が大きく変わるわけではないと思っている。  そんなことを言うとその学生に、「冷めた奴だな。」と言われてしまった。そう、ぼくはこんな感じだ。どこか冷めていて、心から楽しんだり、はしゃいだり、驚いたり、感動したりすることもできない。  そんな風だから友達もいない。一人読書に没頭したり、自分と対話したりしていることが多いため、端から見ればなにを考えているのかわからないだろう。それを象徴するような言葉を、中学3年生のときに同じクラスの女の子に言われた。 「高科くんって・・・性格が暗いのか、明るいのかもわからない」  言われてみてそうなのだと自覚した。それがありのままの自分だと納得したぐらいだ。それまでは、なにかと話かけてくれていたその子は、それからはなにも言ってこなくなった。  そんなぼくだから、この日もいつも通りの単独行動だ。でもそんなぼくがこの地にいるには理由がある。これもさっきの東京出身の学生に話せば、「なんだよ、それ?」と言われるかもしれない。  この日判決が下されるある裁判に、もっとも関係すると思われる場所。ぼくが興味を持った、アメリカ社会の根底に流れる、人種差別という名のドス黒い何かが、なんらかの形で流れ出るかも知れない最重要地域だと思ったからだ。  日本で留学準備をしていたときも、実際にSM市のコミュニティカレッジに入ってからも、L市のサウスセントラル地区は治安に不安のあるところだと聞いていた。夜は絶対に出歩いてはいけない。昼間でも注意が必要だと、いろんな人に言われた。  もちろん、アメリカ社会に興味のあるぼくはそのことを知っていたし、だからこそここに来たのだと思っていた。    判決が出たとき、それがどのような判決であっても、この地に住む人々の反応が見たかった。その息づかいを自分の経験としたかったのだ。多少の危険はあるかもしれないけれど、用心していれば滅多なことは起こらないだろう。  そのときそう思っていたぼくの考えは、甘かった。  日本を発つ前に父親にもらった腕時計に目をやると、午後4時になろうとしていた。  そろそろ法廷の様子も気になるところだから、覚悟を決めて行かなければならないだろう。コミュニティカレッジの先生に聞いてきた、サウスセントラルで黒人が集まるいくつかの場所。ぼくはそこへ行こうとしている。  南北に伸びる車道沿いの道を北上し、信号機のあるT字路を道路の反対車線側に渡る。そこからさらに北上して、二つ目の角に目当ての店が見えてきた。    外から見る分にはオープンデッキのカフェテラス。ただ、肝心のオープンデッキには人は誰もいなかった。店の外で何人かの黒人が話し込んでいるのが見える。通りの奥には、酒場と思われる店が他にもあるようだ。  ぼくはそのまままっすぐ、開けっ放しになっていた店の入り口から中へ入っていった。
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