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「さきほど、警視は坪井がカプグラ症候群ではないかとおっしゃっていましたが、それは事実なのですか?」
「いや、私はそんなことは言っていないだろ」
「え、でもさっきは……」
「私は、『長谷川検事が坪井をカプグラ症候群のフリをしているのだと疑っている』と言ったのだ。そして、間違いなく断言できる。坪井巳一郎はカプグラ症候群ではない。それに近しい認知バイアスの麻痺にかかっているおそれはあるが、断じてカプグラ症候群ではない」
「それじゃあ、どうして」
「長谷川検事の推理はさっき言った通りだ。『坪井巳一郎がカプグラ症候群だったとしても、親しい妻については別人には見えていないのだから、それは嘘だろう』ということだね。でも、彼女は浅はかな知識で考えたに過ぎない。なぜなら―――」
警視は少し上を見てから、
「カプグラ症候群は、よく知っている人物が入れ替わったように思えるだけであって、別人に見える訳ではないというものだからだ。坪井の眼には弟妹が別人に見えていた。だったら、もともと坪井はカプグラ症候群ではないということだ。もし心的に問題があったとするならばそれ以外を探すのがベストだろう。フレゴリ症候群とか、その手の疾患は山のようにあるからね。長谷川検事は最初から坪井が気狂いのふりをしていると決めつけてしまっていたから、精神鑑定をなおざりにしてしまったり調査を怠ってしまったのだ。だが、実際に鑑定をしさえすれば、五人の鑑定医がいたとしてうち二人ほどは精神異常があると認めたことだろう」
「どうして、言い切れるんですか?」
「坪井が弟妹を別人だと思いこんで、最終的に仕向けたのは、この女だからだ」
「まさか……」
僕は坪井の妻を見た。
表情は氷のようだ。
「そもそもイスの偉大なる種族は、人の精神に干渉できる凶悪な力を持っている。だから、最も親しい弟妹を別人と誤解させ、殺害させるなんてことはそんなに難しいものではない。もともともっていた殺意を増幅することもね」
「なんのために、そんなことをするんですか?」
「金のためさ」
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