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 「頼む!芳山(よしやま)さん。この事は誰にも言わないでくれ!このとおりだ!」  「え、えええっ?」  私は今、状況が呑み込めないでいる。  あの影山(かげやま)課長が、派遣社員の私に土下座している。  これは幻覚だろうか。  先日コンタクトの調子が悪くてメガネに変えたせい?  レンズを拭いてメガネをかけ直して見るが、やはり課長は土下座していて、今度は上目遣いになって目まで潤ませていた。  『いつもの影山課長』と『何もかも』大違いだ。  「課長、落ち着いて下さい。とにかく立って、いや、椅子に。」  私も混乱してどうしたらいいのかわからない。  事の起こりは、ちょっとしたアクシデントだった。たぶん誰のせいでもないよね。え?いや、私のせいなのか?  お昼の休憩時間。私が向かったのは、「会議室」とは名ばかりで実際は物置と化しつつある部屋だった。(他に新しく綺麗な会議室が複数出来た為に現在は使われる事が無くなり、そのうち完全に倉庫になるのではという個人的な心配がある。)  人混みに疲れやすい私は、たまに一人で静かに昼食をとりたいとの思いがあった。近所に公園などの落ち着けそうな場所など無い。  その「旧」会議室は滅多に人が来ない。そして窓からの眺めが一番良い。  更に今日は天気も良く、そこは私にとって会社内での「心の洗濯」には最適な場所。の筈だった。    ところがそこに思わぬ先客がいた。誰もいないと思い込んでいた私は、「つい、うっかり」ノックもせずにドアを開けてしまったのだ。  目に入ったのは後ろ姿の長身の人物。その頭頂部が太陽光と相まって眩しい。  片方の手には謎の黒い物体。もう片方の手には白い物体。  振り向いた人物は、社内でイケオジと評され人気のある影山課長だった。  その頭は、かつて教科書で見たことのある宣教師ザビエルの如く、窓を背景に後光が射して見える。  ええぇーっ?!  この驚愕の声が実際に口から出なかったのは、今思えば幸いだったと言えるかもしれない。  課長の右手にはタオル、左手には黒いカツラ。  課長とハゲとカツラ?  なぜかその瞬間私の頭の中で、ムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」がBGMとなって流れた。  影山課長ならぬ…は。いかん、その後に続く言葉は絶対に考えてはならない。  
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