6章 話さないといけないことがあるんだ

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6章 話さないといけないことがあるんだ

「お願い、お父さんがどうしてあんなことをしたのか……教えてほしい」  刑務所の前まで朝陽くんに付き添ってもらい、私はお父さんに会いに来ていた。面会室であのアクリル板越しに、お父さんと向き合う。 「言っただろ、すべて忘れて新しい人生を歩めと」 「お父さんは大手会社の部長だったんでしょう? 将来も安定してた。それなのに、人生を棒に振るようなことをした……その理由はなに?」  お父さんの主張を無視して、私は問い続ける。そうしなければ、私は自分の人生に納得できないまま生きていくことになる。道路に飛び出そうとしたときみたいに、ふとした瞬間にすべてを終わらせてしまいたくなる。私をかろうじてこの世に繋ぎ留めているのは、今や朝陽くんの存在だけなのだ。 「家族のことを顧みず、感情的に動く馬鹿な人間だった……そういうことだ」 「お父さん、私はお父さんが許せない。どんな理由があったにせよ、人を殺そうとすることだけは、絶対に受け入れることはできない。でも、それでお父さんと過ごした時間がなくなるわけじゃない」  お父さんは「え……」とか細い声を漏らしながら、顔を上げた。そこで初めて、お父さんと目が合う。 「記憶を消せる薬があるなら飲みたいよ。でも……ないでしょ、そんなもの。いいことも悪いこともなくならない。いい意味でも悪い意味でも、なにがあっても……家族の縁は簡単に切れるものじゃないんだよ」  私の言葉は届くんだろうか。 『お父さんが殺人未遂を犯したと知ったときの心境は?』 『娘として、どう償っていくべきだと考えますか?』  その質問に答えられず、【謝罪する気がない傲慢な家族】【人を殺しかけたのにのうのうと生きて、恥ずかしくないのか】と散々叩かれた時も。 『ねえ、お母さん……私、あと数か月だって』 『目、もう見えなくなるって……』  お母さんに、勝手に通帳からお金を下ろされた時も。  お母さんや周囲の人の心を少しも動かすことができなかった私の言葉は、お父さんに届いているのだろうか。 「時間が解決してくれるならいいけど、実際問題……無理だし。誰も私を知らない場所に行けば、普通の生活を送れるかもしれない。そう思ってお母さんと東京に引っ越したけど、結局……逃れられなかった」 「なにか、あったのか?」 「うん……高校の校門に、私が犯罪者の娘だって張り紙がされてて……それをしたの、青砥聖也さんだった」 「なっ……あいつは、また……!」  腰を上げてアクリル板に手を突くお父さんに、目を瞬かせる。お父さんに面会するのはこれで二回目だが、初めて感情的になっているところを見た。 「お父さん、〝また〟ってどういう意味?」  そう尋ねるも、お父さんは唇を引き結んでいた。 「お父さん、お願い。このことから逃げたら、私はいつまで経っても今を生きられない!」 「だが……知らないほうがいいんだ。お前の最もつらい……、記憶だから……っ」  悔しそうに、怒りを堪えるように震え、涙を流すお父さんに私は眉を寄せる。 「私の……最もつらい……記憶?」 「お前は……事故のことをなんて聞いてる」  どうして今、私の事故の話が出てくるのか。どくどくと心臓が嫌な音を立て始める。部屋の酸素が薄くなったような気がした。 「あ……その日、私の体調が悪くて、それでふらふら道路のほうに倒れて……事故に遭ったって……」 「……それは違う。お前は背中を押されて、道路に飛び出したんだ。それで車に撥ねられた」  みぞおちを打たれたように声も立てられない。その間も、お父さんの口から衝撃の事実が語られる。 「目撃者もいない、お前は事故当時の記憶を失ってしまっている……証言できる人間は誰もいなかった。それで事故が人為的なものだったという立証ができなかったんだ」 「じゃあ、お父さんは? お父さんはどうして、私が巻き込まれたのが人為的な事故だったってわかったの?」 「わざわざ本人が教えてくれたんだよ。それが誰なのかは……俺がどうして、ここにいるのかを考えればわかるだろう」  そんなの、ひとりの名前しか頭に浮かばなかった。 「まさか……青砥、聖也さん……なの? お父さんは、私の背中を押したのが青砥聖也さんだったから、復讐するために……あんな事件を?」 「……殺すつもりはなかった。というより、私はなにもしていない」 「どういう……こと?」  とっくにキャパオーバーだったが、考えることを放棄したくても、私はすべてを知らなければならない。私の記憶と目を奪い、家族をバラバラにした人間のことを。  お父さんは疲れたように椅子に座り直し、静かに語り始める。 「お前の事故は生死を彷徨うほど、悲惨なものだったんだ。奇跡的に命は助かったが、目覚めたときには頭部と角膜の外傷で記憶と視力を失っている状態だった。お前は、それにひどく取り乱して……」  頭の中に『見えない、なにも見えない!』と、叫ぶ声がこだました気がした。  私、事故直後は完全に目が見えなかったんだ。そのときの恐ろしさは、じわじわと視力を失うよりも大きかっただろう。 「病院の外階段から飛び降りようとしたり、点滴のルートを首に巻きつけたり……思いつく方法で何度も自殺しようとした」 「私が……自殺を……?」 その事実を覚えていないのは、そうしなければ心が壊れてしまいそうだったからだろうか。 「覚えてないのも無理はない……。お前は自暴自棄になっていて、よく暴れていたんだ。鎮静剤を打って無理やり寝かせて、それの繰り返しでな。お前は夢なのか現実なのか、はっきりしない時間のほうが長かっただろう。それに母さんも消耗していって……事故がなぜ起きたのかを調べることも、娘のお前の面倒を見るのも投げやりになっていった」  そんなにひどい状態だったなんて……。  お母さんが『自分だけ被害者ぶるんじゃないわよ。記憶がないっていいわね、嫌なことを忘れられて』と言った意味がようやくわかった。 『あなたは私になにを求めてるの? 毎日、三食食事を作って、娘のために早起きしてお弁当を作って、『行ってきます』って見送る……そういう母親? 世間一般ではそれが当たり前なのかもしれないけど、うちは普通じゃないのよ!』  そう言ったとき、お母さんはなにを思い出したのだろう。何度も自殺しようとする娘の姿を思い浮かべて、世間一般の普通のお母さんになろうとしても心が追いつかなかったんじゃないか。私が普通の女子高生を演じようとして、それでもなれなくて、苦しんだように。 「壊れていく家族を見ていて、初めは事故を起こした運転手を恨んだ。でも、お前が事故に遭うまでの動きを調べていくうちに、お前のあとを小学生がつけていたということがわかってな。ただの交通事故じゃないんじゃないか、そう思った」 「それが青砥聖也さんだっていうの? でも、小学生の青砥さんがどうして……」  そう尋ねれば、お父さんの後ろに座っていた刑務官が驚いたように振り向いた。だが、すぐに気を取り直したように机に向かい、ノートのようなものに会話の記録をとる。 「私も信じられなかったよ。まさか、小学六年生の男の子がって」 「たまたま通りかかって、ふざけて私を突き飛ばしたとか……?」  小学生ならイタズラでそうしたとしても、有り得なくはない。 「それも考えた。ただ、お前は中学一年生の頃の記憶がなかったから、その小学生とどういう繋がりがあったのか、お前や青砥聖也の友人にも念のため当たってみたんだ。すると、事故の数週間くらい前に、お前の友人が青砥聖也に連れられてどこかへ行くお前を見たって聞いてな」 「私は青砥聖也さんと、事故の前にも会ったことがあるってこと?」  駄目だ、全然思い出せない。 「そういうことになる。そして、私がいろいろ嗅ぎ回ってることを誰かに聞いたあいつは、私が小学校を訪ねた際に目の前に現れたんだ。青砥聖也はお前だとわかっていて突き飛ばしたと、そうはっきり言っていた」 「私だとわかっていて……? ってことは私が……小学生の青砥さんに恨まれるようなことをしたってこと?」 「それはわからない。だが、家族が壊れたのは、こいつのせいかと憎しみがわいた。自分の子供が殺されそうになった、自殺しそうになったんだ。正直、殺してやりたいくらいだったよ。でも、私はなにがあったとしても、人様に手を上げるような野蛮な真似はしない」  そう言い切ったお父さんの目は、ここへ初めて来たときとは比べ物にならないくらい、強い意思の光を宿している。  ──間違いない、お父さんは噓を言ってない。人を殺そうとも思ってなかったし、犯罪も起こしていない。 「あの子は校門前で急に私にしがみついてきて、『やめて、助けて!』と叫びながら、勝手に縁石に向かって倒れたんだ」 「自分で頭を打つように転んだってこと?」 「ああ、恐らくな。あの子は恐ろしい子だよ、なんであんなことができるのか……」  私はばんっと長机に手を突き、身を乗り出す。 「どうして、本当のことを話さなかったの? もし話してれば、お父さんが刑務所に入ることもなかったのに!」 「それは……」  言いにくそうに口ごもるお父さんだったが、観念したように息をついた。 「お前の恥ずかしい写真を……ばらまくと、言われたんだ」 「なにそれ……」 「嘘だとは思うが、お前には記憶がなかった。もし万が一にでも事実なら、お前の将来に関わる」  有り得ないとは思うけれど、もし脅されるなどして、そんな写真を撮られるようなことがあったとしても、私がお父さんにかける言葉はひとつしかない。 「お父さん……ごめんね、私がもっと早く会いに来ていれば……。それでもいいから、真実を話してって言ったのに……」 「そんなことは、いいんだ。それに、どんなに説明しても、私を信じる者はいなかっただろう。その場にいた人間も、通報した人間も、小学校の校門前で小学生を襲った犯人として、私を見ていた。どんなに私じゃないと訴えてもな」 『助けて!』と叫びながら小学生が倒れれば、誰だってお父さんを疑う。私と同じように、小学生に冤罪を企てるなんてことができるのかと思うから。 「青砥聖也は、警察に私に襲われたと話したそうだ。子供は守るべきものだからな。大人は皆、かわいそうな被害者として、あの子の話をなんの疑いもなく信じた」 それだけじゃない。お父さんは口にしないけど、私の写真のことがあったから、罪を認める以外の選択肢がなかったんだ。曲がったことが嫌いなのに、どれだけ悔しかったことか。 「本当に……ごめんね。お父さんを信じてあげられなくて、ひとりぼっちでこんなところに……っ」  人に信じてもらえないことがどれだけつらいことか、私は身に染みて知っている。 逮捕されたのはお父さんなのに、私とお母さんも犯罪者呼ばわりされた。そのたびに『違う』とどれだけ訴えても、私たちの声は誰にも届かない。お父さんはこの塀の中で、たったひとりであの絶望に耐えていたんだ。  悔しさと、自分への怒りで涙が込み上げてきた。今、自分を思いっきり殴ってやりたい。 「私に記憶がないから、訴えることもできなかったんだね。このこと、お母さんは知ってるの? もし知ってるなら教えてくれれば、お父さんのところに飛んできたのに……っ」 「知っている。だが、わかってくれ。私も母さんも、あんなふうに正気を失ったお前をもう見たくなかったんだ」 「お父さん……」  胸が熱くて、涙が込み上げてくる。お父さんも、お母さんも、ずっと私のために戦ってくれてたんだ。なのに私は、ふたりのことをわかろうとしていなかった。 「事故のあと、お前の体調が回復するにつれて、視力も完全とはいかないが戻ってな」  私の記憶があるのは、そこからだ。お父さんの話を聞くまでは、事故に遭って目が見えづらくなったんだと認識していた。  でも、実際は目覚めたときに視力を失っていたんだ。そして、身体とともに視力も多少は回復した。それで私の心も安定して、鎮静剤を打たなくてもよくなったのだろう。そこからの記憶を私は覚えていたらしい。 「お前は視力を失っていた間のことも覚えていなかった。そこで気づいたんだ、お前はつらい記憶を忘れたんだと。他の失った記憶も、そのときにショックなことがあったから忘れたんじゃないかとな」  ショックだったこと? 事故のこと……だろうか。でもそれなら、事故の事実だけを忘れればいい。どうして、中学一年生のときの記憶がごっそりなくなるの? 都合よく、この記憶だけ忘れる……っていうのは、できないということ?  考えれば考えるほど、忘れた記憶が疼いているのか、ズキズキと頭が痛みだす。 「事故のことも、目が見えなくなっていたことも忘れたお前は、昔のように笑えるようになった。それなのに、すべてを思い出したりしたら……? あのときのように不安定になるかもしれない。それでまた、お前が自分で命を絶とうとするくらいなら……なにも思い出さないように、お前が忘れた記憶にまつわるすべてのことを隠し通そうと、母さんと決めたんだ」 「お父さんもお母さんも、私の知らないところで、私を守ってくれてたんだね……」  私がお父さんを責めたとき、お母さんが『あなただけは、そんなことを口にしないで』と怒ったのも、この優しい嘘が誰のためにつかれたものなのかを知っていたからだ。 「母さんはどうしてる?」 「……お母さんは……」  とっかえひっかえに別の男の人と関係を持っていて、私に身体を売ってお金を稼げと言ったなんて、話せるわけがない。ただでさえ、お父さんは冤罪でここに入れられて、苦しい思いをしているのに。  これ以上の心労を負わせるのは……と言い淀んでいた私の様子を見て、お父さんは察してしまったらしい。 「あの一件から、もとの生活に戻れることはないと覚悟していた。だから、私のことは気にせず、話してくれないか」 「お父さん……わかった。お母さんは……私を育てるために水商売の世界に入ってから……変わっちゃった。男の人とも、プライベートで……その……会ってたり……」  それを聞いても、お父さんは寂しそうに「そうか」と相槌を打つだけだった。 「それで……私にも、そういうことをして、お金を稼げって……」 「……っ、つらい思いをさせたな。母さんの代わりに、謝らせてくれ」  お父さんは深々と頭を下げた。 「お母さんはひとりで抱えきれなくなってしまったんだ。話し合ってみてほしい、お母さんはあんなことがなければ、陽菜を大事に育てたはずだ」 「……うん、わかった」  そのとき、「そろそろ時間です」と刑務官から声をかけられた。お父さんは心配そうにアクリル板に手をつく。 「陽菜、くれぐれもあの家族には近づくな。私はここにいる限り、お前も母さんも守ってやれない」 「お父さん……うん、約束する。だから、今度はお母さんとここに来るよ。そうなるように私、頑張るから」  アクリル板越しにお父さんの手に自分の手を重ね、私は最後の最後でひとつだけ噓をついた。 ***  地元の駅に帰ってくるまで、私はこれから自分がすべきことを考えていた。無言の私を静かに見守ってくれていた朝陽くんには、感謝しかない。 「今日も学校だったのに、ごめんね? 夕方から、バイトもあるんだよね?」  改札口を出てすぐ、私は朝陽くんに頭を下げる。すると、朝陽くんは笑みを浮かべながら首を横に振った。 「はい、でも……全部、僕が好きでしてることだから」  朝陽くんらしい返しに、口元が緩む。  彼がついて来てくれなかったら、私はどこかで引き返していたかもしれない。ひとりだったなら、真実を知らずにお父さんのことも、お母さんのことも責め続けていただろう。  ようやく心が決まり、私は朝陽くんに向き直った。 「──朝陽くん、聞いてほしいことがあるんだ」  改まった私の様子に、朝陽くんも笑みを潜めて真剣な面持ちになる。 「今日ね、お父さんといろいろ話せたの。それで……四年前の事件の犯人が、お父さんじゃないってわかった」  朝陽くんは驚きのあまりか、表情ひとつ変わらない。それもそのはずだ、私にとっても衝撃の事実だったから。  私を事故に遭わせたのも、お父さんを犯罪者に仕立て上げたのも、青砥聖也さんだったこと。彼が私の写真をネタにお父さんの口を封じていたこと、両親が何度も自殺しようとした私を守るために真実を隠していたことを話した。 「すべて、私の事故から始まったのかもしれないんだ」  お父さんはもう関わるなって言うけど、それだけは聞けない。これがお父さんについた嘘だ。 「私、青砥聖也さんに会いに行こうと思う。なんでそんなことをしたのか、私とどういう関係があるのか、はっきりさせないと。お父さんの無実を晴らすためにも」  朝陽くんは深く息を吐き出し、俯いた。それから、どのくらいそうしていたのだろう。朝陽くんはゆっくりと顔を上げ、口を開く。 「僕も……この罪に向き合うために、あなたに話さないといけないことがあるんだ」  怯えたような青い顔で深呼吸をする朝陽くんに、私まで緊張してくる。長い長い間のあと、朝陽くんは衝撃的なひと言を放った。 「青砥聖也は……僕の弟です」  
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