あとちょっとだけ

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 大学受験予備校X(えっくすじゅく)渋谷校、既卒生コース――つまり浪人生の担任の仕事に就いて、はや8ヶ月が過ぎた。  高3の受験時、お菓子片手に独学で乗り切ってしまった私は、渋谷校の上司に見守られ、何とか受験指導(チューター)を続けられている。  年を明ければ入試本番。共通テスト(旧センター試験)を皮切りに私立大学入試が開始、2月には国公立大学へ出願、個別試験と忙しい。  受験パレードだ。  既卒生のほとんどは昨年度苦さを味わっていて、徹底的に併願校戦略を練らねばならない。さすがに来春もよろしくねと挨拶したくない、お互いに。  そこで、本命大作戦の進路相談が行われているのだけど。 「……泣かれました」 「うん、聞こえてた」  休憩室で遂に打ち明けた私に、鬼頭さんにさらりと返された。クールビューティーは相変わらずだ。黒ニットがスタイルの良さを強調しているけれど、これから冬籠りなのに脂肪付いてなくて大丈夫ですかと聞きたくなる。  鬼頭さんは私のトレーナーだ。 「面談の仕方、まずかったでしょうか……」 「うーん。受験生本人と、模試の推移を細かく確認していったのはいいと思うよ。自分の現状を冷静に把握出来ると、自信に繋がるし」 「ありがとうございます。でも」 「でも?」  鬼頭さんはクッキーを掴むとパリンと美味しそうに鳴らす。お弁当とは別腹、私もつられて手を伸ばし、あとちょっとだけと言いつつ3つめだ。 「……もう少しってあとどれくらいですか、って言い返されてしまって。もう少し頑張ろう、って言い方が傷付けてしまったんでしょうか……」  もう少しだから。  誰かを励ます時、思わず口にするフレーズ。応援する側に他意はなくとも、言われた側はそう受け止められないのは身に覚えがある。  大嫌いな持久走で「あと少し! あと3キロ」とぬくぬくジャージ姿の教師の激励に「あと3キロもあるのか!」と息も絶え絶えに突っ込んだのを覚えている。
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