本編

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本編

『私の好きな人が好きな人に告白された。』 たった一行、それだけ書かれたメッセージがロック画面に表示される。慌ててSNSの画面を開き、適当なスタンプを一つ。驚く表情をしたアザラシの隣にはすぐに“既読”とマークがついた。多分、詳細を打ち込んでるのだろう。彼女は一行一行取り留めない短文をあまり打たず、スクロールを3回は繰り返す長文を書くタイプだ。 だから、最初の一文は彼女の冷静さを消し去るのに十分な出来事だったに違いない。 暫く続きを待ってみる。 「……あれ」 『メッセージの送信を取り消しました』 灰色の枠に囲まれた文字を読み、首を傾げる。いつのタイミングだったか、送信済みのメッセージを取り消せる機能がついたのは知っていた。使い始めた当初は無かった機能だ。 デリケートな話題だし、やっぱり言いたくないのかもしれない。……まあ、そういうこともあるだろう。きっと向こうも既読がついたことは気付いていたと思うし、その上で消したのだからわざわざ話題を掘り返す必要もない。 「好きな人……居ることくらい先に教えてほしかったな」 それも仕方のないことかと薄くため息を吐き、スマホを枕元に放って電気を消した。数分も経たない内にもう一度、部屋の中が鈍く照らされる。 『ごめんね、さっきは送り先間違えたみたい』 暗い部屋の中で光るロック画面に目を細め、気づかぬふりをしてその日は眠りに就いた。 ■ 綾香と私は似てるけど全く別のタイプだ。論理的な思考を好み、口調だって整然としてる綾香。対して私は、彼女と思考こそ似ているものの説明はてんで下手で駄目だった。頭の中で言いたいことばかりが広がって、上手く言葉に言い表せない。飛び飛びの説明を上手いこと汲み取って「つまりはこういうことね?」と自分ですら言語化できない言いたいことをまとめてくれる綾香に、私が懐かないはずがなかった。 几帳面なA型とマイペースなO型とか、学年首席と落ちこぼれとか、ショートカットとロングヘアーとか、バレー部と茶華道部とか。そんな目に見えて正反対のところはない。それでいてどこかずれた二人だ。どちらかと言えば几帳面なのはB型の綾香だし、綾香ほどではないが私も几帳面な気質のO型だ。得意科目が違うだけで、順位争いは買っては負けての繰り返し。髪型は二人揃ってロング。でも綾香は胸まで真っ直ぐ伸びた黒髪を耳に掛けていて、私のウェーブのついた茶髪は耳を覆い鎖骨ほどで止まっている。二人揃って吹奏楽部だったし、それも入学したての頃に所属しただけで半年も経つ頃には一緒に辞めてしまった。 朝の授業が始まるまでの時間は暇で、よく私は取り止めのないことを考えて時間を過ごす。 二人揃って甘党で、でも私の好きな生クリームは綾香が苦手。二人とも紅茶をよく頼むけど私は絶対ストレートで綾香はこだわりなし。嫌いな食べ物は被らないから、お互い嫌いな物を相手にあげたり貰ったりしている。好きな味、好きな色、好きな映画やブランド。2年弱の付き合いの割に、結構色んなことを淀みなく答えられる。 その中で知らないもの。……元彼のこととか、好みのタイプ。 「なーに考えてんの」 「あたっ」 おはようより先に飛んで来た軽いデコピンに口を尖らせる。その表情を見て「可愛い」とだけ言った綾香は勝手知ったる顔で前の椅子に座った。 「その席高戸くんのでしょ」 「いーのいーの、あの人ギリギリまで来ないから」 からからと笑う綾香には悪いが、こういうところは考えが合わない。綾香は私の後ろの席なのだから、別に自分の席でも変わりないだろうに。とはいえ、綾香だって誰にでも気安いタイプじゃなかった。 戸高くんと綾香は幼馴染だ。最初にそれを聞いたとき、幼稚園から高校まで一緒なんて漫画かドラマみたいと言って二人の顔を歪ませてしまった。その反応が示し合わせたようにそっくりで、笑ったら揃って不機嫌になっていた。 案外二人の仲は良くないらしい。席順のせいもあり、用があるときは私を使ってやりとりをするくらいだ。 綾香も綺麗で、戸高くんも人気があると聞いたことがある。「母さんが実家から届いた梨お裾分けするから取りに来てだって」とか「妹ちゃんに私のお下がりの服あげる約束してるから家行っていい?」とか、私の口が軽ければ絶対に今頃噂の的だろう。綾香は愉快そうに笑うけど戸高くんはとても力強く私たちを睨んで来るから、どう考えても私は誤解のしようがないのだけれど。 というか、どこをどう見ても嫌われている。綾香も、ついでに私も。悲しいかな、一方的な伝言以外個人的な会話を一つもしたことがないのに理不尽なことだ。この世の不条理にため息が出る。 「おい退けよ」 「あ、戸高くんはよー」 黙り込んだ私は気づかぬ内に思考ループに入っていたらしく、戸高くんが目の前に来るまで気付かなかった。綾香につられて「おはよう」と声を掛けると、戸高くんは難しそうに目を細めながら「……はよう」とだけ言った。綾香が笑う。 「朝からご機嫌斜めじゃん」 「……お前が苗字で呼ぶの慣れねえ」 「え? なに? 私にまた拓海くんって呼んで欲しいんだ?」 「ちげえよやめろよ、絶対呼ぶな」 「高圧的な男は嫌われるわよ」 どんどん不機嫌になる彼に私が内心はらはらするのも綾香はわかっているようで、1限なんだっけ?と惚けながら自分の席へと戻って行った。 「……クソ女」 悪態を吐く戸高くんが席に着いたのは予鈴の数秒前のことだ。 授業中、目の前にある広い背中をぼんやりと見つめる。板書のために顔を上げると否が応でも視界に入る広い背中だ。ぴんと伸びた背筋、姿勢は良いまま時折眠たげに揺れる頭。脚が長いからか、窮屈そうに机の下からはみ出している。 彼……戸高拓海の印象が昨日までのそれと変わったのは、昨日の放課後に彼から話しかけられたからだ。前までの印象はいつも不機嫌で、少し怖い人。今の印象は綾香が居るときは不機嫌で……やっぱり少しだけ、怖い人。けれど、怖いと思う種類が変わった。昨日までの彼はいつも怒っていて怖かった。今日の彼は、何を考えているのかわからなくて怖い。 ──ずっと戸岐さんと話してみたかったんだ。 声を、言葉を思い出す。思考が昨日のことへと飛ぶと同時に、教室に取り付けられた業務用クーラーのうるさい音は聞こえなくなっていた。 昨日、帰り際課題を教室に忘れたことに気づいて、慌てて戻ったら戸高くんがいた。誰もいない放課後の教室で課題を進めていたらしい彼は、音もなく出入り口に立っていた私にそれは驚いたようだった。 「ッ!?、ぅわあッ、あっ!?」 「あっ」 派手に椅子を引いて立ち上がる。その勢いで後ろの席だった私の机も派手に揺れて、中にあったプリントとノートが落ちる。背後から突然した物音で戸高くんは更に動転したらしく、彼の椅子は横倒しになって通路に投げ出された。 激しい物音を立てたあと、私達は息を凝らす。此処には二人の人間がいるのに、呼吸音すらしない静かな空間でただ見つめあった。二人しかいないけど、二人きりの世界じゃないことは校庭から聞こえる野球部の掛け声が教えてくれている。 「…………ふっ、んっふふふ……あは、もーだめ!」 先に沈黙を破ったのは私のほうだ。耐えきれなくなったのだ、私から一瞬も目を逸らさないまま、口を開いては閉じて何も言わない彼の表情があまりにも珍しくて。ひいひいと絶え絶えになっていると、戸高くんはいつもつり上がっている眉尻を八の字に曲げて首の後ろを掻いた。倒れた椅子を戻しながら、気まずさを払うように咳払いをする。 「と……戸岐さん、どうしたの? もうホームルーム終わって1時間は経ってるけど」 「うん、綾香と話し込んでたら結構時間経っちゃってて……忘れ物探しに来たんだけど、戸高くんのお陰で見つかった」 床に落ちたままのノートたちを拾い上げ、ほらと掲げて見せれば戸高くんは目に見えて狼狽した。直前に綾香の名前を出して目を眇めたのも一瞬で霧散して。 「ご、ごめん……」 「何で謝るの? 私も声掛ければよかったね、集中してて気づかなかったみたいだし」 机を覗き込むと、ちょうど取りに戻った課題と同じものが広げられていた。 「それ今日のやつでしょ、難しい?」 「え、あ、あー……最後の一問、教科書に類題見つけられなくてさ……」 ノートの傍に置かれたザラ紙にはびっしりと計算式を書いてはバツで消した跡がある。 「私も一緒に考えていいかな? 帰って一人で考えるより、二人のが解けるかも」 顔を上げると、目を開いてほんの少し口を開けた彼の顔があった。いつもむっすりと口をへの字に曲げて眉間にしわを寄せてるから、新鮮に映る。こっちが素の表情なのかもしれない。同級生相手なのに年相応だなんて思ってしまった。 「あ、心配しなくても答え写したりしないから! 数学得意なの、綾香にだって点数負けたことないし」 言うが早いか、椅子に座りノートを広げる。戸高くんが立ったままこちらを見ている気配を感じたけれど、問題を読みシャーペンを滑らせる頃にはその視線も気にならなくなっていた。 「……これ、線形計画法ね」 「教科書載ってた?」 「どうかな……でも授業でやった内容」 板書したノートを広げる。与えられた数字は違うが、不等式と一次式で最大値を問われる問題はそのままだ。 会話をしたのはそれだけで、あとはただシャーペンを動かす音だけが静かな教室に響く。グラフを書き、解く流れを考えて式をアルファベットに置き換える。それを解いて…… 「ん、できた」 私の声を受けて前を向いていた戸高くんが振り返る。彼は先に熱心に取り組んでた問題でも人に教えられるのを躊躇わない性格らしく、解説を始めると真面目に聞いてくれた。 このとき喋る間私は自分のノートばかり見ていたから、戸高くんが私を見ていたことなんて知る由もない。 「……でね、このx+y=kはy=-x+kの形に変えられるでしょ。ここまでの流れわかる?」 「うん、大丈夫」 ぱっと顔を上げたら、すぐに戸高くんと視線が交わった。同じタイミングでノートから目を離したのか、それとも。妙に心がざわついたが、それに気づかぬ振りをして視線を下に落とす。 「あ、あー、そうだ、戸高くんは人に教えられるのって抵抗ない? 今更のことだけど」 「全然。俺、この問題30分かけて解けなかったし」 「そっか、私意地になったらとことんのめり込むタイプ。子供の頃とか、パズルが解けなくて悔し泣きしてるところに手出そうとすると癇癪起こして大変だったんだって」 そういう意味では私は要領が悪い。綾香も同じタイプだが、彼女は自分が解くことより解法を覚えて点数を取る堅実派だ。数学が好きではないらしい。 綾香は物覚えが良いし、文章を整理して読み解くのが上手だからか、国語と英語、地理のほうが得意みたいだ。歴史と生物に興味ないから文転はしないと言っていたけど。 「俺も、思い通りにならないと癇癪起こすタイプだった。あや……杜氏も」 「綾香も?」 わざわざ言い直した心理は何だろう。チリ、とした痛みを感じたが、それを一々突っ込むのも野暮な話かもしれない。 「杜氏と俺、いつも同じものばかり好きになってさ、よく物の取り合いしてた。で、だいたい杜氏の思う通りになるんだよな。親から女の子に譲れって言われたり杜氏自体が凶暴で暴れたり」 「綾香が凶暴? ふ、ふふっ想像つかない」 まあ、ときどき彼女は見てるこっちが肝を冷やすほど強気な態度を取るから、手は出さなくても口が強いところは想像つくかも。 なるほど、そんな子供時代を過ごしたから二人の仲はあまり良くないのかもしれない。幼馴染というのは、もっと仲が良くて、惹かれ合って、喧嘩もする。そんな少女漫画ばかりを思い出す。 「あいつ、結構ずる賢いんだよな。勝手に俺の名前使って受ける気ない告白断ったり……今までだって、俺、」 ずっと戸岐さんと話してみたかったんだ。 声が少し震えてる。緊張を押し殺したような、動揺を隠すような、そんな声。そうね、戸高くんとこんなに会話をしたのは今日が初めてのことだった。 それなのに、私は彼の手から完全にシャーペンが離れたことやそろそろ見回りの先生が来るんじゃないかとか、そんなことにばかり気を取られてる。 「どうして杜氏が戸岐さん越しに俺に話しかけてくると思う?」 「……仲が悪いからでしょ? あと席順」 「高校生にもなってそんな理由使わないだろ」 戸高くんの苦笑いが見える。確かに、私もそれが言い訳だって察してる。 「やっぱり周りに誤解されないようにじゃない? ほら、綾香も人気あるし戸高くんも格好いい、し……」 「戸岐さん」 遮るように名前を呼ばれる。何かを訴えるように手を掴まれた。私の手から握りっぱなしだったシャーペンが滑り落ちる。 今度こそ二人で息を凝らした。吐息が聞こえる距離にいるのに、それが聞こえない。普段は気にならない時計の秒針の音が微かに聞こえる。 「戸高くん」 後に続く言葉は「離して」のつもりだった。ただ、私の言葉を遮って無機質なチャイムが鳴る。あと10分で校内に残る生徒は速やかに帰宅しなければならない、それを伝えるための電子の鐘の音。 無言のまま手を引くと、簡単に指は広がり手が離れていった。 「ごめん遅くなったな、送るよ」 「い、いいよ、うち近いから。戸高くんこそ家遠いんじゃない? 幼馴染なら綾香の家の近所なんでしょ?」 「近所っつーか隣」 「お隣さん同士で幼馴染! いいなー漫画みたい。私の家転勤族で幼馴染とかいなくてさ……」 どうにか気まずい空気を払拭しようと努めて明るい声を出す。気まずいと思っているのは私だけかもしれない。それでも、頭の中で繰り返す。私は何も気にしていない。私は何も気づかなかった。 けれど、戸高くんはその努力を無駄にする。 「戸岐さんは、俺と杜氏の関係どう思う?」 何と答えたらよいのだろう、私は二人をどう思っているのか。 少し困って、苦し紛れに「……幼馴染?」と呟いた。彼は私と同じくらい困ったように笑っていた。 ■ 好きな人が居ないといけないのだろうか。 授業中、今日も私の脳は板書の内容とも教科書の内容とも違うことでフル回転している。ところで、私は今まで彼氏がいたことがない。深く考えたことがなかったのと、機会がなかった。綾香のそういうところに気づかなかったのはそのせいだろう。 『私の好きな人が好きな人に告白された。』 綾香の好きな人がその人の好きな人に告白された。それを私に伝える意味としては、登場してくる二人の人物が私の知り合いであるに違いない。だというのに、誰のことかも検討がつかないのだ。四六時中綾香と一緒にいるのに。 そもそもこの思考に意味があるのかしら。答えが知りたいのなら聞けば良いのに、私はそれをしない。したくない。綾香に直接問い質さない言い訳ばかりが思い浮かぶ。彼女が『送り先を間違えた』としたのなら、私はそれに従い見て見ぬ振りをするべきじゃないか。でもそうではなかったら? 綾香は結構、天邪鬼だから。わざとなら彼女が素直な性格でないことで片がつく。その逆ならどうだろう。 ……あれが嘘でも方便でもなく本当だとしたら、誰に送るつもりだったんだろう。 「真波、ご飯食べよ」 名前を呼ばれ顔を上げる。いつの間にか授業は終わっていたらしい。途中で止まっていた板書を慌てて書き写す。駄目だ、教科書2ページ分まるっと記憶がない。 「ごめん綾香……あとでノート貸して……」 「あら甘えてくるなんて珍し。卵焼きで手を打ちましょう」 「スタバの新作とか強請ってこない安上がりで助かる」 言いながら自分で食べようと摘んでいた卵焼きを綾香の口許に近づける。綾香も私も回し飲みとか気にしない質だ。少し驚いたように目を開いた気がしたが、案の定綾香は差し出された黄色い卵に噛り付いた。 「新作は二人で飲むから楽しいのよ。奢りだとただの珈琲頼むじゃない」 「フラペチーノ2杯は財布に厳しいの」 「まあね。それで? がっつり授業中意識飛ばすほど何を考え込んでたわけ」 卵焼きをおかずに白米を咀嚼する綾香が首を傾けた。黒髪が揺れる。 「綾香のこと」と答えれば、彼女は動揺するのだろうか。けどそれは本当に『送り先を間違え』ていた場合、触れられたくない話題を掘り起こすことになる。 ただそれだけのことかもしれないが、したくなかった。だって、それを皮切りに今まで存在を知りもしなかった彼氏を紹介されたり、私が今まで興味を持たなかったそういうことを相談できる友人を紹介されたらどうすればいいんだろう。 多分、傷つく。仲の良い二人の中に別の誰かが加わって、私たちの関係は変わってしまう。結局私は事実と向き合うという行為が怖いのだ。だから考え込んで、思考に耽って自分なりの答えを探す。そこに正解がなくても、納得できるものを求めてる。 苦し紛れに「前の授業化学だったでしょ、小テストの点数やばかったの」と答えると、綾香はつまらなそうに気のない返事をした。 ■ 「ねー真波、この中だったらどれがタイプ?」 「今月号もう買ったんだ。服の系統? 人の話?」 「えっ……真波にも好みの人とかあったの?」 「人を何だと思ってるの……まあ、確かに聞かれたところで答えに困ったかも」 「真波から格好いいとか聞かないもんねー」 「わ、私にだって美醜の感覚くらいわかるから! 綾香は綺麗でしょ、あとほら、あの人格好よかったよ! この間綾香の隣にいた……」 「…………あー、あの人は」 一年くらい前の会話。きっと彼女は忘れているんだろう。 ■ 「真波、何か言いたいことあるんでしょ」 綾香はいつだって直球だ。それは人に気遣えないこととイコールでは繋がらないけど、少し近い。私はため息を吐いた。答えなかったけれど、これでは答えを言ったも同然だとあとから気づく。 「綾香こそ、聞いたら答えられる?」 「内容によっては」 「そうよね。じゃ言わない」 「何でよ」 「口に出して、答えがもらえなかったらもやもやするでしょ」 考えることは好きだ。というか、気付けば頭はどうでもいいことをぐるぐると考え続けてしまう。昼に食べた学食の味付けが気になれば使われた調味料を考え続けてしまうし、どうしても気になる読みかけの本は続きを読むまでの間、授業中も上の空だ。どうせなら地球はなぜ青いのかくらいスケールの大きなことを言えたらいいのに、頭が働くのはどうしても日常の些細なことにばかり。 「真波っていつもそう」 「ごめんね、今度はちゃんと話聞いてるから」 てっきり生返事ばかりの私を咎めたのかと思ったが、綾香は「あーあーいいの、いつものことでしょ」と苦笑いした。……いつものことなのか。少しくらい気をつけようと思う。 「自分の中でちゃんとした答えが出るまでは人に意見を求めないのよね。で、解決してしまったら人には言わない。興味を失くすからかしら?」 「そんなこと……あるかも」 「自分の中で納得の答えが出れば、正解は必要ないタイプ」 自分でも気付いていなかったことを指摘されて思わず頷く。綾香は人のことをよく見てくれている。 「でもって考えを邪魔されるのは嫌いだよね。欲しいのは正解じゃなくて答え合わせ」 「ごめん……でも邪魔ってわけじゃないよ」 「ん。そう、真波のそういうところ好きだよ。考えるきっかけさえあれば真剣に悩んでくれるもの」 まるで私が何に悩んでいるのかお見通しと言わんばかりに、綾香がにこりと笑いかける。綾香はよく私のことを可愛いと言ってくれるが、私は綾香のことを綺麗だと思う。 「私の蒔いた種は貴女の中に芽吹いたかしら」 蒔いた種。それが何を指すのか、思い起こすのは取り消されたメッセージだ。 「綾香って、結構ずるいよね」 「使えるものは親でも使えって言うでしょう?」 今回良いように使われた幼馴染には同情する。否、立場的に私は申し訳ないくらい言うべきだろう。生憎と申し訳ない気持ちはないので謝罪の言葉はないけれど。 だって誰を好きになったって、思い通りにならなくたって、誰の責任でもないでしょう。 『私の好きな人が好きな人に告白された。』 きっかけはあのメッセージだ。好きな人は誰なのか、その人と付き合うのか、綾香は今まで誰かと付き合ってたのか。一度考え始めると、思考は滑車のように回り始めた。 そうして、今まで考えたこともなかった話が思い浮かぶ。否、最初からあったその感情を自覚したに過ぎない。 綾香がではなく私が。私が、誰を好きなのか。 「私、真波の欲しい答えをあげられると思うんだけど」 「でも綾香の言った通り、私に正解は要らない」 ほんの少しの嘘を混ぜて私を突き動かした綾香は狡い。だから、私も素直に彼女の求める答えを差し出したりしないのだ。何も言わなければ私達は友達のまま。私は現状に満足している。 でも、綾香はどうだろう。私の想像した答えの通り、目前にいる美しい人の瞳が揺れた。 「私が聞きたいの。答えを聞かせて」 自分の思う通りにしたいなら、人を利用することもあるだろう。わざと言葉を誤魔化したり、真実に嘘を混ぜることもあるだろう。けれど、真剣に向き合いたいのなら、それはしてはいけないことだ。 わかってくれたなら、それでいい。これから答え合わせの話をしよう。 … 「どうしてあんな嘘吐いたの?」 真っ直ぐ見つめて問うと、綾香が目に見えてたじろいだ。自分から騙すのは得意なのに、咄嗟の嘘が吐けないのが彼女の可愛いところだ。 「言っておくけど全部が全部嘘じゃないから。戸高くんが言ったんだよ、今日戸岐さんに告白したって。あの人わざわざ家まで煽りに来たの!」 「じゃあ最初の嘘は戸高くんってわけね。でも綾香は嘘と分かった上で乗ったんでしょ」 「まあね。私と戸高くん、考えが似てるから腹立つのよね。悔しいけど何のつもりかわかるもの、」 それこそ、戸高くんが私の考えわかるみたいに。 続けられた言葉が否が応でも二人の付き合いの長さを感じさせて、思わず黙り込む。どうして綾香が私越しに戸高くんに話しかけるのか、きっと彼は正解を知っているんだろう。私は終ぞわからなかったけれど。 私はもう一つ疑問をぶつけた。 「でもどうして私の好きな人が戸高くんってことになってるの?」 「真波が言ったんじゃん、格好いいって」 言ったっけ。言った気がする。 「…………え? それだけ?」 「ま、真波から誰かを褒める言葉聞いたことないし、真波が言ったって戸高くんだって自信満々に……、! あ、あいつ……ッ」 何かに気づいたように綾香が肩を震わせた。私もなんとなく察して呆れた。 嘘は吐いてない。吐いてないけど、それが好きに繋がるのは飛躍しすぎだと思う。大方彼は私告白して、その答えとして格好いいと言われたと脚色したのだろう。嘘と本当を混ぜる、綾香と戸高くんって似た者同士だ。 「綾香のこともよく綺麗だって言って……ないね、でもよく思ってる」 「言ってよ! そういうことは!」 綾香の顔が赤い。最近気づいたけど綾香ってあまり笑わないし、言われ慣れてないのかもしれない。 「うん、ちゃんと伝えるね。ちなみに今の綾香は可愛い」 「……〜〜っ!」 無言で叩くのはちょっと理不尽じゃない?
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