パン工房

2/5
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 食事当番は二人ひと組だった。  工員のなかで唯一女の子のみくと組めたことが、とても幸運だったと思っていた。  僕は中学を卒業して以来この職場に勤めていて、女性と話をしたことなんてほとんどなかった。  みくは取り分けて美人というわけではないが、明るくて愛嬌のある女の子だった。真面目で仕事熱心だし、覚えも早い。  恋を、していた。  僕は密かにみくのことを慕っていた。いつか、単なる仕事場の先輩というだけでなく、みくともっと仲良くなれたなら。そんなことを願いながら、なにひとつ行動には移せない僕であった。  作業着を脱いでジーンズにコート姿になり、みくと地上に出ると冬の太陽が優しく降り注いだ。  それだけで心が軽くなり、こわばった肩がほぐれてゆくような気がする。多くの生き物にとって太陽は生きてゆくために必要不可欠なものだ。 「あー、やっぱり気分いいですねー」  みくが空に向けて伸びをした。 「明るいってとっても大事なことですよね。私、少し後悔してたんです。地下の工員さんなんかになるべきじゃなかったのかなあ、なんてね」 「じゃあ、なんでここの仕事を受けてみようと思ったの?」    みくと一緒に軽自動車に乗り込んだ。 「昔からパンが大好きだったんです。憧れの仕事だったんですよ。でも……憧れの仕事になんか就くものじゃないかもしれないですね。毎日焼きたてのパンをお腹いっぱい食べられるって思ってたのに、工場のなかのパンの匂いだけでもううんざりって感じで。パン工場の職人さんたちが、毎日和食ばっかり食べてるのも頷ける気がします」 「そうだね。やっぱり日本人だからなのかなあ。お米が無性に食べたいよね」    まかない飯は百パーセント和食だ。焼きたてのパンの匂いのむせ返る工場内で、ほっと息をつけるのは食事の時間くらいだった。 「皆さん、和食もすごくお上手ですよね。毎日お昼ごはんが楽しみなんです。でも……さっき、なんでみんな拍手してたんですか? 高橋さんのぶり大根ってそんなに美味しいんですか?」 「普通だよ。みんな作ろうと思えば作れるんだ。でもあれは時間がかかるからね。わざわざやりたがるひとがいないだけだよ」  工員の作る焼き魚も煮物も炒め物もみんな美味しい。食べ物を商売にし、味覚の発達したひとたちだ。そこらの主婦よりこだわるのかもしれない。  でも、時間と効率、作る分量を考えるとそんなに手間暇かけられない。作る分量は二十人前なのだ。  いつの間にか、ぶり大根を作るのは僕の役目になっていた。みんなそれを喜んでくれたし、僕にとって唯一の存在意義であるような気がしていた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!