呪いの言葉とレッテル

1/1
前へ
/8ページ
次へ

呪いの言葉とレッテル

幼いころから、ずっと母に言われてきた言葉。 「あんたは甘えてこなくて、小さいときから可愛げがない」 母は、人のマイナス面を何度も口にする癖があり、一度付けたレッテルは貼りなおすことは不可能。その評価が覆ることは二度とない。 妹は「手がかかる子ほど、可愛い」、弟は「末っ子の男の子は特別可愛い」と言われており、母に存分に甘えられる権利を手にしていた。 母が冗談で「もし離婚したら、どっちについていくか」と、子どもたちに質問することが度々あった。 妹と弟が「おかあさん!」と迷いなく即答する姿を見て、母はとても満足そうだった。 私は、一人になってしまう父がかわいそうで「じゃあ、お父さん…」と遠慮がちに答えていた。 母は何も言わなかったが、やっぱりそんな私を「可愛げがない」と思っていたのだろうか。 そもそも妹や弟と違い、甘える権利のない私。 それもこれも「私に可愛げがない」せいなのだ。 ところで母がおさがりを調達してくるのは、先述のランドセルに限った話ではない。 服もどこかから調達してきており、それもなぜか男児用のものばかりだった。 高学年にさしかかる頃には、私の胸も膨らんできていたが、髪は母の手により短く切られ、相変わらず男児用の服を着せられていたので、初対面の人には男の子に間違われることも少なくなかった。 たしかあれは小学5年生の頃だったと記憶している。 元々レジャーや外食などの機会が極端に少ない家庭だったが、珍しく家族で遊園地に外出した時のことだ。 父が外のベンチに座っていたので、私がニコニコと駆け寄ったとき、父は一瞬ぎょっとした顔をして凍り付いた。 私には、それがどういう意味なのか全くわからなかったが、普段優しい父にそんな顔をされたので、今でも強く記憶に残っている。 あとから追いついた母に向かって、父ははっきりと言った。 「あの子に下着を買ってやりなさい」と。 後日、母に連れられて行ったデパートの下着売り場で、初めてサイズを計ったところ、Cカップだった。 すでに成人女性並みに発育していたのにも関わらず、同じ女性である母には、完全にスルーされていたのだ。 家庭内でのしつけや勉強に口を出すことのなかった父が、思わず母にその場で注意するぐらい、その光景は直視できないものだったのだろう…と、今ならわかる。 母は、私の成長に興味が無かったのだろうか。 それとも、気づいていながらも、見ないふりをしていたのか。 大学生になって一人暮らしを始め、自分で衣料品を購入できるようになった時、心から嬉しいと感じた。 ピンクや赤、スカート、レースや花柄…世界は、たくさんの可愛いもので溢れていた。 ほぼ大学デビューとなった私の服装のセンスのひどさは、所属していたサークルで笑われたこともあったが、それでも私は楽しかった。 私に可愛げが無くても、可愛いものは自由に選べるのだから。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加