成人式の振袖アピール

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成人式の振袖アピール

ある日、母から実家に帰省するようにと連絡があった。 私の振袖をあつらえるのだという。 私自身は成人式に出る予定もなく、せいぜい記念写真を撮ってお終いと考えていたので、てっきり振袖はレンタルするものと思っていた。しかし、母には振袖にかける並々ならぬ熱い思いと怨みがあったのだ。 母は、三人兄妹。上に兄が二人の末っ子として生まれた。娘一人、さぞかし可愛がられたのかと思いきや、母親(私の祖母)からは、出来のいい兄二人と比べられて、かなり差をつけられて育てられたそうだ。 母が成人式を迎えるとき、母親から「振り袖が着たいなら自分で買えばいい。スーツでいいだろう」と言われ、金銭の援助は全く貰えなかった。 その頃、すでに就職していた母は、必死で振り袖用のお金を貯め、自力で振り袖を購入し成人式に臨んだのだった。 そして、もし将来、自分に娘が生まれたときは「絶対こんなみじめな思いをさせない」と心に決めたのだという。 母は念願だった「娘の振り袖」を買い与え、とてもご満悦だった。あとは娘から感謝の言葉をもらって、母の「振り袖物語」はハッピーエンドで締め括られるはずだった。 が、私はそれを知りつつ、見て見ぬふりした。 ほんの数回袖を通すだけのご立派な振り袖より、私は小学生のときに新品のランドセルが欲しかった。 母にとっての振り袖が、私にはランドセルに置き換わっただけだ。 人は自身が受けた痛みは忘れないが、与えることには鈍感なのだろう。 なお、母は自身の母親から「当然与えられるべきモノを与えられない」理不尽さに反抗し、自力で目標を達成したが、私には、もう上書きすることも反抗することもできない、辛く苦しいだけの過去の話である。 娘から思うように感謝の言葉を引きだせなかった母は、思い出を噛み締めるようにしみじみ語った。 「あんたって、本当に昔から育てにくい子だった。下の二人は素直に甘えてくるのに、あんたは、じっと遠くから見つめてくるだけで、そばに寄ってこない。初めての子だし、どうやって可愛がったらいいのか、わからなかった…」 これには驚いた。「可愛げがない」と幼い私に言い放ち、甘えることを拒否したのは、母のほうではなかったか。 母は自身の苦労を昔話のように語っているが、私はまだ現在進行形で黒い感情のなかに取り残されている。 こうして母と娘の歯車は噛み合わないまま、軋んだ音をたてて回り続けるのであった。
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