面倒な妹ルール

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面倒な妹ルール

ひとつ年の離れた妹とは、とても仲が良かった。 物心ついたときには、常に隣に妹がいる生活だったこともあり、当時の流行の音楽もマンガも、何もかも、妹と思い出を共有している。 しかし、お互いの距離が近い分、面倒なことも多々あった。 ワガママだけど人懐っこくて、母親を困らす破天荒ぶりには定評があった妹。 「可愛いものは、妹のモノ」という我が家の謎ルールのもと、妹にはドレスのリカちゃん人形が与えられたが、私は買ってもらえなかったため、ジェニー(服なし、下着のみ本体だけの低価格)を自分のお年玉で購入した。 妹は髪を伸ばし、毎朝母に結んで貰っていたが、私の髪は癖毛を理由に短く切られていた。 「妹には音感がある」という母の勘により、妹には100万を超える楽器が買い与えられた。大会となると、ステージ衣装を買いに行き、母が付き添って遠征していった(その後、高校受験を理由にあっさり辞めた)。 一方私は、近所の習字教室やそろばん教室に通わされていた。 紅白まんじゅうの赤いほうは、問答無用で妹のモノになった。 なぜこんなに妹ばかり優遇されるのかというと、このルールを逸脱すると、妹のワガママが爆発し面倒なので、こちらが諦めたほうが幾分かましだったためだ。そして、母もそれを止めることはなかった。 そしてそれは、お互いが大人になってからも続いた。 20代後半に、私は当時付き合っていた彼と結婚した。 出会って一年…彼の押しの強さに負けた形でのスピード婚だ。 結婚式は自分たちのできる範囲で、と考え、ホテルのチャペルで近親のみで行い、披露宴の代わりに新しい家族と一緒に食事会をするスタイルにした。 私の両親がお祝い金を用意してくれたので、遠方から式場まで来てもらう宿泊費に充ててもらい、その残りをありがたく頂戴した。 新居のアパートには、お互いの家具や家電を持ち寄り、共稼ぎではあったが極力節約した新生活が始まった。 それからぴったり一年後。 私の辿った道をなぞるように、妹が結婚した。 ただし結婚式は100人規模の披露宴。 妹は結婚式を挙げる際「お姉ちゃんには、いくら包んで渡したの?あたしにもちょうだい」と母に詰め寄ったとのこと。 家電や車を新調し、私たち夫婦の住むアパートの近距離にわざわざ新居を借りた。 「お姉ちゃんの旦那さんは、お酒も飲めないし、真面目でつまらない」 「あたしは、記念日には、こんなサプライズをしてもらった」 「休日には、こんなところに旅行に連れてってもらった」 妹は、なにかと我が家に顔を出しては、楽しいご報告をかましていった。 そして、妹旦那は仕事を辞めた。
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