傷だらけのランドセル

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傷だらけのランドセル

私のランドセルはお下がりだった。 3人姉弟の長女であったにも関わらず、私には傷だらけの色あせた赤いランドセルがあてがわれた。 近所のおばさんが「うちの子が6年間使ったけど、まだ綺麗よ。勿体ないから」と、母に半分押し付けるように寄越したためだ。 母が断りきれなかったのか、それともありがたがって貰ってきたのかは、わからない。 しかし、何が綺麗なものか。他人の6年間分の傷や汚れがしっかり蓄積されたランドセルは、小学校入学を心待ちにしていた私の心も傷つけた。 ピカピカのランドセルが並んだ新1年生の教室に、ひとつボロボロのランドセル。 「どうしてそんなにボロボロなの?」クラスメイトからの純粋な質問も、私にとっては鋭利な刃である。 それでも、1年生には交通安全の黄色いランドセルカバーが配布されたのは救いだった。これをかけていれば、ランドセルを隠さなくても、周りのこどもたちと同じように登校することができたからだ。 しかしビニールのカバーは、破れたり、ゴムが切れたりして、夏休み明けからはカバーを外して登校する子が増えた。 今のように、カラフルなランドセルカバーがメジャーな時代ではなかった平成初期の話。 もし、カバーが売っていたとしても、私の母は「勉強には関係ない」と一蹴し、一生買ってくれることはなかったと思うが。 そんなわけで、1年生の3学期になっても頑なに黄色のカバーを大事に死守しているのは、とうとう私だけになっていた。 しかし、私には勝算があった。 私には年子の妹がいたのである。 順番でいえば、彼女の入学とともに、このお古のランドセルがお下がりし、私には晴れて新しいランドセルが与えられることだろう。 でも、安心して。最初のうちは、黄色のカバーが支給されるからね。 私はこれから人生最大の不幸に見舞われるであろう妹に、できる限り優しくしてあげようと考えていた。 それが姉として、経験者として、正しい対応だろう。私は寛容な人間なのだ。 が、春が来て人生最大の不幸に見舞われたのは、妹ではなかった。 妹は新品のランドセルを背負って、入学式に臨んでいた。 なぜ、ここでお下がりの法則が適応されないのだ。 私は母に訴えたが、母は言った。 「だって、そのランドセルは、おねえちゃんのでしょ。6年間、大事に使いなさい」 結局、私に新しいランドセルが買い与えられることは、なかった。 ちなみに、数年後、弟が小学校に入学した際には、新しい黒のランドセルがもちろん用意されていたのだった。
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