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エントランスの背の高いスチールドアが左右に大きく開いて、荷物を抱えた今岡の旦那が帰ってきた。
(あ、また玄関にクルマ停めたな!)
荒井誠治は出来るだけ感情が出ないように心掛けながら、管理人室の窓口から顔を出した。
「今晩は、今岡さん」
誠治の顔をちらりと見た今岡は一瞬不快な表情を見せたが、すぐに笑顔を作って、
「ご苦労さん!」と返事した。
「あの、また玄関前にクルマ停めておられますよね」
「そうだよ。この荷物、見てよ。いや、荷物置いたらすぐに戻るからねッ」
「あ、でも困るんです。事故が起きるかも」
「事故なんか起きたことないだろ!すぐ戻るから!」
今岡の旦那は声を荒らげて行ってしまった。
やれやれ、と管理人室に戻った誠治はため息をついて椅子に腰を下ろした。また今岡さんとやりあってしまった。しかし黙っているわけにはいかない。ここの入居者の迷惑になることなのだから。
ここは高級マンションじゃない。専用エレベーターはないし、コンシェルジュも置いていない。専属の警備員はおらず、誠治のような通勤管理人が朝の九時から夕方六時まで詰めている、それだけだ。それでも自分には手が届かないクラスのマンションだと誠治は理解している。駐車場の半分くらいは外車が収まっていて、玄関の前に停まっている今岡さんのクルマも三千ccクラスの外車であった。
ここの住人は何某かで成功を収めた連中なのだ、と誠治は思った。それに引き換え、俺はひとつの成功体験も持っていない。クルマは中古の軽以外乗ったことがない。現在住んでるところは昔から府営住宅で、家を持ったことも無かった。
かといって仕事もしないで遊んでいた時期は無い。高校を出てから職場をあちこち変えたけれど、クビになったわけじゃない。ではなんで職場を変えたのかと言われれば、人間関係が辛かったのだと言うしかない。嫌な人間を避けていると、いつまでも成功はやって来ないということか。
そんなことを考えていると、今岡の旦那がエレベーターから降りてきた。ムスッとした顔でまっすぐ前を向いたまま、ドアを開けて外に出ていった。
やれやれ。入居者には勝てない。こちらが折れるしかないのだ。しかし七十を迎えた誠治にいつまで我慢できるか。年金だけでは生きていけないことはよくわかっているが、年齢を重ねるごとに、人と衝突せずにやっていくプロセスがどんどん億劫に感じていくのだ。
そんなことを思ってはいたが、その日は誠治が思うより早くやってきた。年度末の自治会総会で誠治が話題になったのだ。
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