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店には一時間ほどいただろうか。そのあいだ、普段あまり飲まない酒を飲み続け、すっかり酔っ払ってから腰をあげた。一万円札を出すと、お釣りとして5千札とあと数枚の千円札が戻ってきた。柔らかい手であった。
「ずいぶん飲みましたね、気をつけて」
女将は誠治から握られた手をゆっくりと引いて、にこりと笑った。
「また来るから。アイルビーバック」
「おッ、ターミネーターですか?どこを硬くするのかしらね、カチンコチン!」
(ふん。男好きな女将め。今さらカチンコチンになんかなるもんか)
誠治は片手で暖簾を上げると、もう片方の手をズボンの前に押し当てて、親指だけを突き立てて、
「カチカチやで〜」と笑った。
女将さんの笑い声を聞きながらおもてに出ると、まだ冷たい三月の風が誠治の首すじを吹き抜けた。
誠治は背中を丸めながら千鳥足で遊歩道を通って家に帰る道を選んだ。
(あの手の顔は男好きなのかもな)
誠治が頭に思い浮かべているのは、あのマンションの五階に住む朝井の奥さんである。
旦那はボォっとした冴えない男だが、奥さんはいつも華やかだ。露出度の高い服装で、常に笑顔を浮かべているからか。タンクトップから覗かせている二の腕は中年らしく肉がだぶついているが、それがなんとも色っぽい。たるんだ顎のラインと怪しげな目つきが女将と似ているのだった。
管理人室でひとり妄想するのは浅井の奥さん、三階の下谷の奥さん、それに八階の越田智子。彼女は独り暮らしの三十代の美しい女だ。暴力団の顧問だか本部長だかの爺さんに囲われている。管理人室の前を通るときにはいつもにこにこと一般人のような顔をして通っていくのだが、服装をみればその筋の人間だとわかる。
この三人が誠治のお気に入りであった。しかし彼はもはやどれだけ女のことを想っても萎びた泌尿器を屹立させることは出来ない。もう十年以上勃起を経験していないとなると、ちっとやそっとでは奮い立たせることはできないのだ。それでも性欲は残っていた。視姦とか触姦、あと身体から湧き立つ匂いなんていうのもある。
今は性欲どころではないのだが、仕事を失い、お先真っ暗な行く末をこれ以上考えたくなくてヤケを起こしたい気分でいたのだ。
(おや?こんなところに)
もうやがて府営住宅の敷地が見える、というところまで歩いてきたとき、遊歩道の道ばたに祠が置かれているのに気づいた。
(お稲荷さんのようだが、こんなところにあったっけ?)
足を止めそうになって、道ばたにある祠には手を合わせてはいけない、という話を思い出した。祠にはいろんな霊が寄り付いていて、立ち止まった人にそいつらが取り憑くとかそんな話しだった。それで誠治はそっと通り過ぎることにした。
しかし、
「荒井さん」
背中から男に呼びかけられて、誠治はビクリと身体を震わせてから、あわてて振り返って身構えた。
「誰や!」
「荒井さん。さっきはどうも」
灰色のコートを着た若い男。居酒屋のカウンターの隅にいた男だった。
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