アズサ イン ストーリーランド

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私はアリス。 いや違う。本当の名前はアズサ。朱逗沙と書いて、あずさと読む。 この名前はの大家さんが勝手につけたもので、いわばニックネームである。 私、アリス…、いやアズサが『サンハイツ・キャロル』というこ洒落た名前のアパートで暮らすことになってから、そろそろ二年が過ぎようとしていた。 * 二年前の春。とある中堅私立大学を卒業すると同時に私はニートになった。 いや、ちょっと語弊がある。正しくはニート状態になってしまったと言うべきか。 大学時代、流されながら就職活動の波に乗り、そして何も掴み取れないまま陸に打ち上げられた。 内定ゼロ。どこの企業からも採用されず、結果行き先未定のままに大学を卒業する羽目になってしまった。 それが私、アズサである。 実家を出て、せめて一人暮らしをしようと家を出た。 就活は失敗したけど、せめて何か一人前っぽいことをしたかったんだと思う。 そんな感じで住む家を探すべく物件サイトを渡り歩いていた時、とある一つの紹介ページで目がとまる。 ――芸術家たちが暮らすアパート 『サンハイツ・キャロル』 入居条件は、芸術的な活動をしている人(プロ、アマ問いません) という内容のものだった。 数ある物件の中でも異彩を放っており、そのクセの強さみたいなものに興味をもった私は軽い気持ちで応募した。 すると、そのアパートの大家さんと面接することになった。 なんでもそのアパートで暮らすにふさわしい人物かどうかを見極めるための入居面接なんだとか。 「アナタはどんな芸術的な活動をしてる人?」 アパートの広間にて。 目の前のイスにかけ、優雅にカップを傾けながら大家さんが問いかける。 私は大家さんが淹れてくれた紅茶を口にすると、おずおずと答える。 「そうですね、小説を書いてます」 「ほほう…、小説を」 大家さんがわずかに反応し、キラリとその目が光ったような気がした。 「どんなお話をお書きになるの?」 「えっと、ファンタジーをよく書きます。現実では起こりえないような世界観が好きなので。そういう要素があるお話を好んで書きます」 「執筆歴はどれくらいかしら?」 「高校生の頃から書いてるので…、ちょうど十年くらいでしょうか」 十年。もうそんなになるのか…。しみじみとそう思う。 大家さんは紅林(くればやし)さんという人で、通称(くれない)さんと呼ばれているそうだ。 紅さんは目の上にブルーのアイシャドウをたくわえており、口には赤いルージュ、頭にはまるで王冠のように帽子をのっけていて、とても個性的な外見をしている人だった。 「長いキャリアね、ゆくゆくはプロの作家になることを目指しているの?」 「…いえ、プロになることは考えていません。ただ、小説を書くことは一生涯続けていきたいです。自分から生まれたものを物語として表現するのが楽しくて。 作家になることは目指してないけど、書きたい気持ちがある限りはずっと続けていきたいと思ってます」 紅さんの質問に正直に答えていく。 テーブルの上には色とりどりのマカロン。マカロンなんておしゃれな食べ物、デパ地下のショーケース越しにしか見たことなかった。 おいしい紅茶に素敵なマカロンは、面接というよりまるでおしゃれなティータイムのようだった。 「そうなのね。じゃあアナタにとって、芸術ってどんなイメージがおあり?」 するとふいに飛んできた質問、私は数回まばたきして黙り込む。 ホワンホワンと頭の中にイメージが浮かび上がってくる。そして私の考えは次のような感じだった。 ・お金に困っていて毎月の家賃の支払いに苦労している ・大家さんからの取り立てに将来売れるかもわからない描きかけの絵とか渡して「これで何とかお願いします!」と言ってやり過ごす ・流行やはやりには乗らず、自分の思い描く世界を一人で追いかけていく……など 以上が私の芸術に関わる人間へのイメージであった。 「芸術…。芸術っていう分野自体がふわふわしててつかめない、抽象的なもので、あと、平等ではないイメージです」 「平等でない、というと?」 紅さんが掘り下げるように聞く。 「なんというか…、芸術って学問と違って正解がないですよね? 決められた公式に当てはめたり暗記したりとか。受験では答案用紙上で一定の正解が出せればそれで合格ですけど、でも芸術にはそれが通じなくて…。 審査する人の感性とか嗜好とか、そういう抽象的なもので左右するところもあるかと思うので、そういうところが平等にはいかない世界というか…」 ティーカップにはハートやスペードなどの柄があしらわれていて、私はそれを見つめながら言った。 昔、学校の担任が言っていたのを思い出す。 勉強は平等だ。真面目にこつこつ積み重ねていけば、やった分だけやった人には結果がついてくる。 でも、芸術やスポーツとなれば話は別だ。 それには才能や運、タイミングといった点数では計れない何かが絡んでいる。 正直、私は芸術というものがわからなかった。美術館で名画を見ては首をかしげ、演奏を聞けば眠くなる。 明確な数字では計れない何かは、見る人の心の中で様々な姿形となって現れる不平等なもの…… それが、私の中にある芸術であった。 「なるほど、芸術とは雲みたいにつかめなくて、それでいて不平等なもの…」 私の説明に紅さんがかみ砕くようにつぶやいた。 「――アリス」 「え?」 「アナタのニックネーム。アズサだからアリス…。素敵じゃない?」 「えっと…」 すると唐突に紅さんがそう言った。 私は戸惑いながらもそうですねと返せば、紅さんからカギを渡される。 「あの…」 「二階の角部屋が一つ空いてるわ。好きに使いなさい」 ニヒルな笑みでそう言う紅さんに、私は渡されたカギをまじまじと見つめる。 それはいたってふつうのアパートのカギだった。 でも、私にはそれが、お話の扉を開ける不思議なカギのように見えた気がした。 「これからよろしくね、アリス」 その日から私はになった。
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