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プロローグ*
「怖い?」
『彼』は深く息を吐いてから「大丈夫」と小声で返してきた。「嘘つき」と『彼』の体内にいれていた人差し指を抜き出すと、彼は四つん這いのまま腰だけ高くあげて「大丈夫だから」と繰り返す。しかし彼が晒している臀部の窄まりは蕾のように固く閉じたままだ。
俺は彼の熱意だけは買って、その真っ白な尻を優しく噛んだ。
「……そんなとこ、噛んじゃやだ……」
「初なことを言うなあ」
「初なんかじゃないっ」
「……可愛いって意味だったんだけど、……脂汗までかいて……」
無駄毛もなく、張りもあり、引き締まったとてもきれいな尻をしている。尻だけでなく、背中や、腕や、指までも整えられている。『人に見られることを前提に手入れされた体』をしているから『こういったこと』には慣れているのかと思ったけど、彼はどうやらそうではなかったらしい。
「無理をさせた。ごめん」
「してない、大丈夫だってば……」
「嘘ばっかり」
彼の足の間から抜け出して、ヘッドボードにもたれるように座る。
ダブルサイズのベッドでも、俺と彼がこういったことするにはもっと広い方がいいと感じる。今度からはもっと広いベッドが置いてあるホテルを探そうと考えながら、ベッド脇においておいたペットボトルの水を飲む。
「……なあ、……しないの?」
彼は、ヒュウヒュウと息をしながら俺を見上げる。
「君、準備はしてくれたみたいだけど、指だけでもしんどいんだろ?」
「しんどくない。大丈夫だから……してよ」
「我慢させるのは俺の趣味じゃない」
彼は、じぃ、と俺を睨んできた。二重で、丸みのある目の形をしていて、少し色素が薄い瞳だ。
「なに、その顔」
「……別に」
彼のその態度につい微笑んでしまう。
つい一時間前に新橋駅の近くで目が合って、少し話して、「ホテルに行かないか?」と誘ったら彼はついてきた。俺と彼はそれだけの関係なのに、まるで熟年の彼女のような態度で、可愛らしい。
「水飲む?」
俺は飲んでいた水を彼に差し出した。彼は震える指でそれを受けとると、体を起こして、一口飲んだ。
彼のきめ細かい肌が汗ばみ、赤く染まっている。息を吐くと見える白い前歯や、水に濡れた唇は扇情的だ。白になるまで色を抜かれた髪や、少し化粧しているあたりが、今時の若者らしくて背徳感を誘う。
それでも二十三歳と聞いているから、犯罪ではない。ただただ、俺より五歳年下の若い男。それが、俺なんかについてきて、抱いてくれないからと拗ねている。
「泣かないでよ」
「……俺、抱く価値、ない?」
とても魅力的な男が、俺の前で瞳に涙をためている。
「そうじゃない。君はとても魅力的だから、俺は君に入りたいと思っている。だけど、君の体を傷つけたいわけじゃない。君、……名前も年も嘘でいいけど、体のことだけは嘘はつかないでくれ。誤解したままでは、楽しくないセックスになっちゃうだろ? ……なにを怖がってるの?」
彼はペットボトルの蓋を閉めると、ぎゅうとそれを抱き締める。
肩のラインが美しかった。彼は目を閉じて、ようやく口を開く。
「……俺、……同類に会うの初めてで、……こんなところまで連れてきてくれたの、あんたが初めて……だから、嬉しい……でも自分でやったときはおもちゃだって入ったのに、今、なんでか……全然駄目で……どんどん焦って……そしたらどんどん……」
「そっか。セックスはこれが初めてなんだね?」
「……めんどくさくて、すいません」
深く、ベッドに額がつくまで頭を下げた彼のうなじがきれいだった。
その肩に手を置いて、そのうなじにキスをすると、彼は小さく声を上げた。嘗めると汗の味がする。その耳を食めば、彼の体はビクビクと律儀に震える。慣れていない彼がおずおずと、俺の顔を覗き込んでくる。
その瞳の色が綺麗だった。
「……抱いてくれるの?」
「そりゃもちろん。こういうのは楽しまないと。ゆっくり、じっくり、……チェックアウトは明日の十二時だしね」
顔を上げた彼にキスをする。
彼はキスにも慣れていないのか、その舌はとまどいがちにしか俺に応えてくれない。そこが可愛かった。
「可愛いなあ、『太郎くん』。……『太郎くん』、か」
「……偽名だと思ってるの、『山田さん』?」
「言ったろ? 名前なんかどうでもいい。……ほら、舌出して。一人遊びじゃ出来ないことをしよう?」
『太郎くん』は真っ赤な顔をしていたけれど、俺から目をそらすことなく、舌を小さく出した。
「可愛い」
「馬鹿にしてるだろ……」
「してないよ。可愛がってるだけ」
この日のセックスは時間はとてもかかったけれど、その分とても楽しいものだった。
俺の経験したセックスの中でも上位十位に入るぐらいには素晴らしい。とはいえ俺は一晩限りの相手とは連絡先も交換しないし、相手の顔も覚えられない。ただ、『最初は嘘ついたり、泣いたりしてたのに、最後は騎乗位でよがった可愛い子がいたなあ』、とぼんやり記憶に残すだけだ。
そんな風に行きずりのセックスを二十歳過ぎてからの趣味にしている俺の名前は久住春。
仕事はエンジニア。暦通りの休みだから、ナンパは金曜の夜か土曜の夜。寝た相手の顔はすぐ忘れちゃうから、また抱くこともあるし二度と抱かないこともある。まあ、そんな感じの、ちょっとだけ倫理がふわふわの、どこにでもいる普通のバイセクシャルだ。
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