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「この辺の飲み屋だったら、……あの通りの向こうにある、リリリって店が日本酒がたくさんあって美味しいよ」
「ああ、あのお店気になってました。読み方、リリリでいいんですか?」
「知らない。なんて読んでも店主は笑ってる」
「独特の店だァ……」
そんな話をしながら、バリバリとバリカンを当てられる。その手をぼんやりと見ていたら、彼がふと思い出したように首をかしげる。
「かなり短めにしてってますけど、問題ないですか?」
「任せるって」
「アハ、楽しくなってきました。……でも、本当にこだわりないですか?」
「ないよ。外見なんてアイコンに過ぎないんだから、なんだっていい。プロに任せるのが一番いいでしょ」
鏡の中で、彼の目が大きく丸くなる。驚いたのだろうか。でも口や鼻を見る前にその目は元に戻った。だから、驚いていたのかもしれないし、目だけ驚いたふりをしたのか、俺には判断ができなかった。
彼の小さな口から小さな舌が少し出て、ぺろりと唇を舐める。
「じゃあ、久住さまの髪は俺の好みにしちゃっていいってことですね」
「うん? ……うん、まあ、そうだね」
「だったら、俺が抱かれたくなるような男にしてあげます」
「はい?」
「なんちゃって……」
鏡に映る彼の頬が赤くなっていた。
白い肌が赤く染まると、ひどく煽情的に思える。――あれ、やっぱり前にもあったことがあるような気がする。けれど、だとしたら――一夜限りの相手だとしたら思い出す方が面倒くさい。
もう美容院ジプシーに戻りたくない俺は目を閉じた。
「うん、任せる。抱いてほしくなるぐらいのハンサムにして」
「あっは、了解です」
そうして店に入って一時間後に、俺の無駄に伸びていた長い髪はすっかり消え去り、後頭部を触るとショリショリと音が鳴るまで短くしてもらえた。なによりシャンプーをして、席に戻るときには髪型もいい感じになっているところがいい。乾かすのも五分とかからない。
そして家からも近い。
俺はすっかり満足した。値段は少しするけれど、このぐらいなら問題ない。会計をしながら、彼のつむじを見る。右曲がりだ。
「いやあ、楽。ありがとう」
「いや、好き勝手やらしてもらえて楽しかったです」
「次の予約してっていい? 二カ月後ぐらい」
「え」
彼が顔を上げて、俺を見た。
「あれ、駄目?」
「い、いや、ありがたいです。えっと、土日がいいですか?」
「うん。次はカラーもしてもらおうかな」
「あ、分かりました、ええっと、……十一月の第二週はいかがでしょう? 朝から空いてますね」
「うん、じゃあそこで。朝一でお願いします。十時だっけ」
「はい、十時です。よろしくお願いします」
彼が深く頭を下げる。そのうなじが綺麗だった。
「うん、よろしくお願いします」
行きつけの美容院がなくなる恐怖を俺はよく知っていたので、――絶対、間違っても手を出さないようにしよう、と思いながら、俺も頭を下げた。
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