銀は成らずに好手あり。

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 メニューを渡され、好きなものを選ぶよう言われた。コーヒー、紅茶とフレッシュジュースなど十種以上の選択肢があったが、無難にブレンドコーヒーにした。オーナーは席を立ち、「受付」の札が置いてあるカウンターまで行くと、内線を使ってブレンドコーヒーを二つ頼んだ。  オーナーが席に戻ってすぐに龍馬は「父から、事件の概要は聞いています」と、切り出した。  龍馬は用意しておいた手帳を出し、ボールペンを手に取った。 「詳しくお話しいただけますか?」  龍馬は話しを聞いた後で、疑問点を解消していくことにした。オーナーは銀将が無くなっていることに気づいたいきさつから説明し始めた。  利用料は、月会費制とチケット制と都度支払いの三種類用意されていた。都度支払いも一日利用800円と、17時以降500円とがあった。月極で利用する人が一番多いらしい。週二回以上通うなら、月極の方が得だ。  サロンには二十セットの将棋盤と駒が用意してある。普段、同時に使われるのは多くても十ほどで、サロン開催の将棋大会でしか全てが出はらうことはない。受付カウンターに近くの棚に並べてあるので、そこから将棋盤と駒をひとセットとり、自分好みの席へ持って行くのが習わしになっている。  受付横の棚を見ると、脚のない将棋盤の上に駒箱を載せ、ひと組にして並べてあった。五セットずつ四段にきっちり収まっていた。一番上の段がちょうど平均的な男性の胸のあたりになる。自然に、取り出しやすい盤から持ち出される。  数日前に客の一人が「たまには端の方のも使わな」と、受付から一番遠い下段の端にあったセットを持ち出した。その駒箱の中に銀将がないことに気づいたのだ。すべての駒箱を調べたところ、ちょうど半分にあたる十の駒箱から銀将だけが抜き取られていたことがわかった。 「先月サロンで開いた将棋大会の時には確かに揃っていたんです」  龍馬はメモに、棚の様子を描きとった。後で写真も撮らせてもらうつもりだが手を動かした方が記憶に残る。顔を上げると視界の端に人影が入ってきた。カフェとサロンを繋ぐ廊下を、若い女性がこちらへ向かってきている。遠目にも美人なのがわかる。トレーにコーヒーカップが二つ載せられていた。龍馬の目線に気づいたオーナーが「娘が来ましたね。ご挨拶だけさせてください」と言った。  両手でトレーを持っていたので、扉を開けられるのか心配になる。慣れているのか、すんなりと入ってきた。近くで見ると余計に透明感がある。窓からさす柔らかな光をうけて輝いて見えた。 「お待たせしました」  声まで澄んでいる。ローテーブルの脇で膝をついて、龍馬の前にコーヒーを置いてくれた時の所作に気品があった。心なしかコーヒーの香りも良い。 「お砂糖とミルクはいかがなさいますか?」  いつもは両方入れるのだが、つい「いりません」と返してしまった。  オーナーの娘は歩(あゆむ)という名だった。 「先生と同じく駒から名前をつけましたが、うちは『歩』ですよ。一歩一歩着実に進んで、ト金に変われば『金』と同じ能力を手に入れられる。努力家になってほしくてつけたんです」  龍馬には名前負けをしている自覚があるから、なおさら良い名前に思えた。  オーナーの娘はサロンにはほとんど関りがないらしく、「解決してくださいね」と言い残し、すぐに戻っていった。  新型のPC欲しさに引き受けたことで、思いがけない収穫があった。オーナーの話だと娘に男の影はない。五つほどは年上かもしれないが、龍馬の周りにはいない素敵な女性だ。
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