銀は成らずに好手あり。

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 龍馬は、自分をプロ棋士の息子と知っている相手に、俊也を紹介するのには抵抗があった。誰もがどこかで、佐藤六段の息子はなぜ将棋が強くないのかと疑問に思っている。龍馬は、強くないというレベルですらなかった。駒の動かし方をかろうじて知っている程度なのだ。物心ついた頃には、将棋の道具を与えられていたが全く興味が持てなかった。小学二年生のころ、気が向いてほんの数か月だけ将棋をした。将棋は単に、龍馬の性に合わなかった。だから、智久も無理強いしなかったのだ。  龍馬は、他人から俊也と比較されるのが面倒なだけで、妬んではいなかった。俊也が、将棋を始めてから今まで、将棋以外のことをほとんどせずにいたのを見てきたからだ。中学までは同じ学校だったが、休み時間にも常に詰将棋を解いていたせいで学校には龍馬くらいしか友達がいなかった。奨励会に入ってからも、時々は龍馬の家に来ていた。  俊也が話したがっている時は極力相手をしていた。俊也が将棋を始めた理由は、龍馬が誘ったからだった。自分が角行にちなんだ名前だったから、苗字に『飛』の入った俊也を『相棒』だと言って家に誘ったのだ。そのくせ、自分はすぐに将棋をやめてしまったことに負い目を感じていた。将棋に誘わなければ、俊也はもっといろいろなことを楽しむ子供時代を送れたのではと思ったこともある。しかし、身近に二人もプロ棋士がいるため、ほかには目もくれない者だけがプロになれる世界であることを理解していた。それこそが『才能』なのだ。  帰り際にオーナーからクリアファイルを渡された。 「前回の大会の棋譜です。先生にお渡しいただけますか」  龍馬は特に疑問も抱かずに受け取ったが、オーナーがわざわざ渡す理由を説明してくれた。毎回、智久が名勝負を選んで、日を決めて解説会を開いているらしい。龍馬は智久の仕事の内容をよく知らずに来た。将棋をさす以外にもいろいろとすることがあるのがわかった。  智久と違って、龍馬の母親、和美の仕事はわかりやすい。和美は医師で、智久の実家の内科医院を継いでいる。和美と智久は幼馴染だった。和美は中学時代には智久と結婚し医院を継ぐつもりで医学部を目指していたらしい。  家に戻り、智久にファイルを渡した。「どうやった?」と訊ねられ、最初に歩の顔を思い出した。龍馬は「コーヒーが美味しかった」と、返した。智久は「そやな」と頷いた。  事件については、まだ何もわからない。せめて、該当期間の客の出入りを確認しなければ、誰に犯行の可能性があるのかも把握できない。絞っていく以前の状態だ。 銀は成らずに好手あり。2  翌日、オーナーから連絡が入った。サロンだと、龍馬が動いていることが知られてしまうため、カフェで歩から受け取ることになった。  夕方にもかかわらずテーブル席もカウンターもほぼ埋まっていた。サロン側と違い、吹き抜けになっており梁もむき出しだった。店内のほとんどは靴を履いたままでいい。一部、一段高くなった箇所があり畳敷きだ。歩の他にも三人スタッフがいる。  歩から大きめの茶封筒を渡された。データでくれるものと思っていたが、プリントアウトしてあった。茶封筒から少し引き出して中身を確認すると、一日につき一枚になっているようだった。客の名前はアルファベットに変えてある。  歩に礼を言うとコーヒーを飲んでいくか訊ねられたが、遠慮した。  龍馬は「ゆっくりできる日にまた来ます」と、付け加えることも忘れなかった。   
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