銀は成らずに好手あり。

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 持ち帰った資料をさっそく取り出した。面倒ではあるが、PCに入力しなおした方がよさそうだった。龍馬は日ごとにシートを作成し、打ち込んでいった。  銀将がないことに気づいたのは、将棋大会からちょうど十営業日目だったようだ。十日間すべてに来ているのは五人だった。ただ、銀将を十セット分、一日で抜いた可能性もある。龍馬は駒箱から銀将を抜き出すのにどのくらいかかるのか、やってみることにした。  智久が家にいたので、駒箱を借りることにした。部屋にいくと、座椅子に座って本を読んでいた。用件を告げると、床の間の隣にある飾り棚まで駒箱を取りにいってくれた。座椅子の脇に、以前オーナーから預かったクリアファイルが置いてある。大会の棋譜から、解説する対局を選んでもらうと言っていた。 「どれの解説をするか決まったん?」  飾り棚の前にいる智久に声をかけた。 「惜しいと思った対局があったから、それにするかもしれん」  智久から駒箱を受け取った。こんなに軽かったかと思い、蓋を開けてみた。ススッと木のこすれあう音がした。駒がバラバラと入っている。箱に入った状態で銀将を四枚を探し出すのは、時間がかかりそうだ。  智久は、座ってクリアファイルの中のコピー用紙を捲り始めた。 「一つ、銀を成らせなければ優勢になった対局があったんや」  龍馬は、詳しく聞きたかったわけではない。 「わからへんし、説明はええよ」  智久が苦笑いを浮かべた。「すぐに返しにくる」と言い残して、部屋に戻った。机の上に駒を出してみた。駒同士が当たって良い音がした。王将は大きいので目についた。小さくて数の多い歩も目立つ。指で重なり合っている駒をかき分け銀将を探した。龍馬は、銀将の裏の文字を忘れていたせいで、余計に手間取った。たとえ、駒に慣れていても、一日のうちに気づかれずに十の駒箱から銀将を抜き取るのは無理だ。時間がかかりすぎる。一日ひと箱ずつ、少なくとも数日に分けて、抜き取っていったはずだ。  龍馬は、駒箱を返しに行った。 「銀を四枚ともみつけるのにまあまあ時間かかったわ」  智久が「そやろな」と頷いた。 「なんで銀なんやろ」  智久が「わからん」と顔を横にふってみせた。 「飛車角以外は、成れば金の動きに変わるやろ。銀以外の駒は前にしかいけへんから成るしかない。銀は成っても成らんでもええねん。銀は金ほど自由ではないけれど金の行けへん斜め後ろに下がれる」  銀について語ってもらっても、犯人はみつけられない。  将棋をさしていた頃、龍馬は銀が嫌いだった。何度か、銀の斜め後ろに大事な駒を置いてとられたことがあった。 「銀のことが、嫌いな人なんかもしれんな。盗ったのは」  嫌いならば、捨ててしまっている可能性がある。そうなると穏便にはすまなくなる。大会は、駒をどこかから借りて開けたとしても、銀将を捨てられたとなると弁償を求めるはずだ。智久とオーナーが軽く捉えているせいで見誤ったが、それほど、簡単な問題ではない。  龍馬は、成功報酬欲しさに、厄介ごとに首を突っ込んでしまったと、後悔した。  入退店の記録から、五日以上サロンに来ていた十一人をピックアップした。その中でも、毎日来ていた五人には星印をいれた。名前をアルファベットに変えてあるので、性別もわからない。近所なのか、日に何度も出入りを繰り返す人が数人いる。夜の方が少ないのかと思っていたが、月極でない客がふらっと寄っていくのか、サロン内にいる人数にそれほど差はなかった。世の中には思っている以上に将棋をさす人が存在していた。
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