銀は成らずに好手あり。

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 翌日、オーナーへ電話をかけた。銀を特別に嫌っている人に心当たりはないか訊ねたが、わからないと言われた。だいたい「毎日サロンに来ていたから」「銀が嫌いだから」で、疑われたらたまったものではない。それでも誰かが盗ったのだ。  調査には手詰まり感があった。智久にあまり頼ると無能だと思われる。そこで龍馬は、将棋に詳しく、気を遣わずに話せる飛崎俊也にメッセージを送った。 『相談したいことがあるんやけど、近いうちに時間つくれる?』 『明後日まで大丈夫やで、そっち行ったらええんか?』  タイミングよく俊也が京都にいたので、直接会うことになった。いつもは家に呼ぶのだが、智久に見つかるとまずい。龍馬が俊也の家に行くことになった。俊也が将棋に集中するために実家を出て一人暮らしを始めてからはほとんど会っていなかった。プロになってからは、俊也が忙しいのと、それまで以上に邪魔をしてはいけないと感じているのがある。普段穏やかな智久も大事な対局の前には雰囲気が変わる。龍馬にはいつどんな対局が控えているのかよくわからなかった。  龍馬は、自分が投げ出したくなるほどの厄介ごとに間接的に俊也を巻き込むため、喜びそうな手土産を考えて用意した。最近話題の抹茶ティラミスで、一時間並ばないと買えない日があり、並んでいる間に売り切れることがあるほどだった。龍馬は今日中に機会があれば歩に渡そうと二つ余分に買った。サロンに顔を出せなければ、両親に渡せばいい。  俊也は将棋サロンとそう遠くないワンルームマンションに住んでいた。大阪に出やすいようにJRの二条駅寄りだ。ティラミス屋に寄らなければ地下鉄一本で行けた。四条河原町に寄るためにバスも使った。こういう手間が俊也を喜ばせるとことを龍馬はよくわかっている。  思った通り、俊也にあってすぐに手渡すと「これ、なかなか買えないやつやん」と、随分喜んだ。俊也は甘いものに目がない。当然、話題のものはチェックしていると予想していた。 「忙しくて買いにいけへんかったやろう」  俊也は「せやねん」と、頷きながら、紙袋の中をのぞいた。 「抹茶の色、濃いわあ。絶対美味しいやつやん。先に食べてもええか?」  家にあがる前に訊かれた。龍馬は肩をすくめながら頷いた。 「二つは家に持って帰るから、冷やしといて」 「さすがに三つはもらえへんかあ」  いかにも甘そうなティラミスを三つも食べる気でいたと聞いただけで胸やけがしてきた。  入ってすぐに簡易キッチンがあり冷蔵庫と電子レンジが置いてあった。バストイレは別になっているようだ。部屋は八畳ほどの広さで、端にロフトベットが置いてあった。ベッドの下の机に、ノートパソコンがある。脇には脚つきの将棋盤と駒箱もある。俊也は壁にたてかけてあった座卓の脚をおこして、窓際に置いた。  俊也が龍馬のために濡れおかきと緑茶を出してくれた。自分のためのティラミスをテーブルに置きながら、何を合わせるか悩んでコーヒーに決めたと説明してくれた。甘いものを食べない龍馬にはどうでもいいことに思えたが「それでええんちゃう?」と返した。  龍馬は、「コーヒーといえば」と、歩のカフェの話をしかけてやめた。注目の若手棋士で、容姿も良い俊也がライバルになってしまうと勝てる気がしない。適当に大学近くのカフェの話をして誤魔化した。俊也は目の前のティラミスに気を取られて龍馬の話など聞いていない。 「龍馬が僕のために並んでくれたと思うと、余計に美味しく感じる」  龍馬は並んだ甲斐があったと嬉しくなった。龍馬の前でこれだけよくしゃべり表情豊かな俊也だが、実際は極度のコミュ障で、他の人とは無表情のまま事務的な会話しかしない。ただの人見知りが他人からはクールに見えるらしく、智久から、俊也には女性ファンが多いことをきいた。 「いやあ、ほんまに美味しかった」  俊也が食べ終わったので、龍馬は本題に入ることにした。
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