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1-2 姉弟子は励ます
四月の初め、泪聖は新しい弟子を迎えた。
名を桃源。桃源郷──俗世から離れた別世界。仙境もしくは理想郷──から招かれようと跳ねのける堅い意志を持つ鳥となるように。そう願って名付けられたという。
元服したての鳥が持つ初々しさ、抑えようとも漏れ出てしまう緊張を揚羽は微笑ましく眺める。
いくら生まれた時から里で生活していようと、ただの雛鳥から幹部の弟子となることは立場に明確な差が生まれる。弟子の不始末は師匠の責任となり、過去には師弟ともども処刑された鳥も居るほどだ。
「桃源。既に知っているだろうが、お前の面倒を見てくれる姉弟子の揚羽だ」
「はい。存じております」
「俺の修業にも耐えた強い鳥だ。色々と教えてもらうといい」
泪聖が揚羽のことを簡単に紹介する。揚羽の名を知らぬ鳥は居ない。桃源は憧れを滲ませながら姉弟子を見つめ、姿勢を正す。
「揚羽様。今後ともよろしくお願いいたします」
敬意をもって土下座に等しい体勢で挨拶をする桃源に、揚羽は凛とした声で応える。
「よろしく頼む。それと、私に敬称をつける必要は無い。年齢は違えども同じ弟子同士。他の鳥は知らないが、気楽に揚羽と呼んでくれ」
「しかし、それは余りにも不敬では」
「他の鳥は知らんが、姉弟子の我が儘だと思って聞き入れてほしい。泪聖様にも許可は頂いている。お前は何も気にしなくていい」
とりあえず長命である鳥は時の経過を早く感じる傾向にある。いつ散ってしまうか分からない弟弟子との交流を、揚羽は大事にしたかった。思い返す記憶が堅苦しい日々というのは味気ない。
歳の差といってもせいぜい三十年程度。ましてや揚羽は幹部でも何でもないのだ。過度に敬う必要も無いし、求めてもいない。
これから桃源が味わうのは拷問と言い換えてもおかしくないレベルの修行だ。その過程で得る苦しみは一人で抱えきれないもの──揚羽は独りで耐えてきたが──だと考える。そして、その苦しみを共有できるのは同じ目に遭ってきた弟子同士だけなのだ。
「私は、お前が辛い時にすぐ頼れる距離にある姉弟子で居たい。だから変に敬われるのは抵抗があるんだ。意地を張るのは構わないが、それなら私は返事をしないぞ」
「そ、それは困ります」
「だろう? なら諦めて揚羽と呼ぶんだな」
うまく笑えているかは分からない。が、揚羽は意識して目元を緩め、口角を挙げる。すると桃源は少しだけ頬を赤らめた。
「分かりました。あ……あ、揚羽」
人見知りする雛鳥のようにもごもごとまごついてみせたものの、彼の言葉に揚羽の満足気に微笑んだ。
「そうだ桃源。それでいい」
姉弟子と弟弟子が基準を擦り合わせるその瞬間を、泪聖は眩しいものを見るかのように目を細めて眺めた。
儚げな雌のような姿をしている桃源だが、着物を脱げばその布の下には歳相応に立派な筋肉が存在しており、修行中ともなれば凄まじい闘志でもって泪聖に立ち向かっていった。
殴られる強さ。蹴られる速度。崖から落とされる勢い。着物と肌に食い込む爪の深さ。地面に叩きつけられる容赦の無さも、揚羽が味わってきたものと何ひとつ変わらない。
「揚羽はずっと昔に、この苦しみを味わってきたんですね」
その日の修行を終え、湯浴みを済ませた桃源はいつものように揚羽の手当てを受けていた。
師匠は基本的に弟子の手当てを行わない。傷の治癒も修行の一環と考え、自己回復か先輩にあたる兄・姉弟子の介抱を推奨している。
「ああ。お前の修業を見ていて昔を思い出したよ。泪聖様の厳しさは今も昔も変わらない」
「怪我の具合も同じですか」
「そうだな。私が弟子になりたての頃は治癒術を使える兄弟子が居たから、治してもらっていたよ」
「なりたての頃、ですか」
「間もなく兄弟子は亡くなられたからな」
完治とまではいかなくとも、術で優しく治療してくれた兄弟子は一年も経たぬ間に修行で命を落とした。泪聖のもとで十五年近く弟子として生活した鳥だ。決して弱い鳥ではない。
「その後は自分で何とか手当てをした。鳥の回復力が高いとはいえ、傷を負いながら次の日も修行するのはキツかったよ。怪我をしない日はなかったから」
治癒術を完璧に使える鳥は少ない。だが、重症ではない怪我を治すくらいの治癒術なら素質さえあれば身に付けることが可能だ。
「しばらくしてから私にも治癒術を使う才能があることが分かって、必死で覚えたんだ。治癒術が有るのと無いのとでは、やはり違うからな」
治癒術を使えれば時間を浪費することなく身体を休ませることができる。いくら傷を負おうとも次の日に響かないよう準備ができるのだから有難いことだ。
「俺にも治癒術の才能があればいいのですが」
「たとえお前に素質が無くとも、私が治してやるさ。だが……私が居なくなってもお前の傷が早く癒えるよう手段が多いに越したことはないな。お前も治癒術が使えると良いんだが」
そう呟くと、桃源は驚いたような表情を浮かべる。
「揚羽、何を言っているのですか。貴女が居なくなるなんて……死ぬなんて、有り得ないでしょう。泪聖様の修業を耐え抜いてきた貴女が」
揚羽は心の中でため息をつく。
修行を耐えられたのは揚羽が特別なものを持っていたからではない。たまたまだ。偶然の産物だ。単に運が良かったからだ。それ以外の何物でもない。
「お前は私を買い被り過ぎているようだが」
過去の兄弟子達に根性が無かった訳ではない。中には驕った鳥も居ただろう。しかし純粋に力を求め、泪聖を尊敬し師事した鳥が多かったことを揚羽は理解している。
「修行を耐えたから強いという認識は誤りだ。全てを否定するつもりはないが、修行の結果だけで計るものではない」
師匠によって修行終了の判断基準は異なる。それに幹部に昇格した鳥の中には短期間で修行を終えた鳥や、修行が完了する前に強さ・適性を認められた鳥も居る。修行期間の長短だけで決めていいものではない。
兄弟子たちは確かに泪聖の修業を最後まで受けることはできなかった。とはいえ若かりし日の揚羽が太刀打ちできないくらいの強さは持っていた。血だらけになろうとも諦めず、心配そうに見やる妹弟子を悲しませまいと明るく振舞う様は「さすが兄弟子だ」と感じた。同じ師に仕えることができて良かったと思ったものだ。
「私は特別な鳥ではない。選び取った選択肢がたまたま生存の道へと繋がっていただけだ。お前は凄いと言ってくれるが、私は一人前にも程遠い。だからこれからも泪聖様の弟子として足掻くつもりでいる」
そう力強く話す。こうやって誰かとじっくり話すのも久しぶりなように感じた。
揚羽は他の鳥との交流が極端に少ない。
師匠である泪聖は別として、この頃屋敷には泪聖の子を産むために幹部の娘・魅月が居候していたが、彼女は揚羽を使用人としか見ていなかったので最低限の会話しか交わさない。
客人が訪れた際は茶を出してもてなすものの、主である泪聖が姿を現せば席を外すのが常である。
弟弟子たちとの交流も数年持てれば良いほうだった。看取るばかりではあったものの、心地よく会話できる関係は素晴らしく思う。
「桃源。お前は独りではない」
──揚羽、お前は独りじゃないぞ。
「その日の修業を無事に終えることだけ考えるんだ」
──お前は焦らずに日々の修業を終えることを考えなさい。
「辛く苦しいだろうが、必死にしがみつくんだ」
──苦痛だろうが、必死で耐えろ。しがみつけ。
「お前に何かあれば私が必ず助けてやるから」
──揚羽。お前に何かがあった時は、何が何でも俺が必ず助けてやるからな。
桃源を励ましながら頭の中で響いたのは、かつて兄弟子がかけてくれた言葉だ。修行で傷付き時には涙した年若き揚羽に、兄弟子は大きな手をそっと肩に置きながら、まるで雛鳥を慰めるかのように告げてくれたのだ。
あの優しさ、温かさを忘れまい。
その記憶があるからこそ今の私が在る。
「揚羽……ありがとうございます。貴女を守れるくらいに強くなれるよう頑張ります」
思わぬ桃源の言葉に、揚羽は呆気にとられたように目を見開く。元服したばかりの雄が何を口走って……と思ったが、これも修行への意気込みだろうと揚羽は口角を僅かに上げながら言った。
「一丁前に雌を口説くとは、お前もちゃんとした雄だったんだな」
「な……っ」
「まあ明確な目的があるのは良いだろう。お互いに生き延びれるよう頑張ろうな」
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