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遠山あえかについて
俺が事務所に用意してもらったマンションの部屋の隣人は、遠山あえかという女子高生で、学校どころかクラスも一緒だ。
160センチ後半はあるであろう身長に凹凸の激しい身体つきと端整で大人びた容姿はルイに言わせれば“高校生とは思えぬ色気を放っている”そうで、現に校内では援助交際をしているだとか社会人の男と遊び歩いているだなんて噂が絶えない。
その噂は根も葉もないもので、部屋に男を連れ込んだことは俺が知る限りではこの前が初めてだしそれ以降はその様子もなく、派手に遊び歩いているどころか学校とバイト以外出歩くことはないのかと逆に心配になる程家に籠っているタイプのようだ。少なくとも、俺が一年と数ヵ月間隣人として感じる気配からは実に落ち着いた規則正しい生活を送っているのだと容易く想像出来る。
「……げ」
朝、玄関の扉を開けると同じタイミングで出てきた遠山が露骨に嫌そうな顔をした。なんなら声にも出ている。
「……おはよう」
「あぁ」
どうやら俺のことが嫌いらしいが、それでもご丁寧に毎回挨拶はしてくるし、同じエレベーターでエントランスまでは肩を並べている。
「お先に」
そしていつも一足先にマンションを出て、決して遠山は俺と一緒に登校することはない。もしかしたらモデルをしている俺を気遣ってそうしているのかもしれないが、単に俺と一緒にいたくないだけなんじゃないかと踏んでいる。
遠山の均整のとれたスタイルも背中まであるサラサラの長い髪も業界の女に負けていないと思うから、女性モデルを探しているというウチの事務所に紹介出来ればと思うが、目立つことは嫌がりそうだしそもそも俺とは碌に口もきいてくれないのだから、それも難しい。
その辺に埋もれているのは勿体ない人材だが、面と向かって褒めてやるつもりはないから黙っておく。
今日も放課後事務所に寄るけれど、社長にはまた誘えなかったのかと小言を言われそうだ。こんなことなら引っ越してきた高一のあの春の日、新居はどうかと訊いてきた社長に隣人がえらく美人だったなんて言うんじゃなかった。
この霜月丘高等学校は芸能科はないものの自由な校風で俺のようにメディア露出のあるバイトをしていても何も言われないし、ある程度の実績があれば多少の単位は融通してくれるということで、芸能科のある高校へ行くほどではないがそこそこ活躍もあるという半端な有名人はポツポツと在籍している。それでも一般の生徒が大半を占めているため数少ない有名人は騒がれることとなり、俺はその少数派だ。
有名人に会えるかもという動機のために入学するには少しだけ偏差値が必要なのである程度ふるいは掛けられ、しかし進学校というには些か弱いこの学校に遠方からわざわざ進学しようなんて奴は少ない。
だから大学も近くにないこの高校の周りには学生向けの物件なんてほぼないし、一人暮らしをしようだなんて訳ありの生徒もほぼいない。
遠山と隣人になったのは偶然だが、同じマンションになることは訳ありの一人暮らし高校生としては選択肢もなく必然だったのかもしれない。
「恭ちゃん、おっはよー」
朝から軽やかな挨拶をしてくるコイツは中野琉生。今日も肩にかかる金髪をハーフアップにまとめ、目にかかる前髪を邪魔くさそうに弄っている。
「はよ。今日の撮影ルイと一緒だったよな」
「そーだよ。オレ掃除当番だから先行ってていいよ~」
ルイは同じ事務所に所属しているモデルで――というか、ルイの伯母が社長をやっている小さな事務所で元々モデル活動をしていたルイが、中学の時に別のクラスだった俺を勧誘して以来の仲だ。
「あ、ラッキー。あえかちゃん見っけ」
入学以来どうやらルイは遠山のことが気に入っているらしい。恋愛感情ではないようだが、普段から声を掛けては適当にあしらわれている。校内では男子生徒も含め概ね好意的に見られている俺とルイ。その中で自分に興味を示さない女が珍しいから気になるだけなんだろう。
「あーえっかちゃん」
背後から抱きつくルイを睨む遠山は、虫でも払うようにルイの腕を振りほどいた。
周囲の女子生徒たちが小さく悲鳴をあげたのはルイのファンだからだろう。そういうルイの行いとそれに対する遠山の反応が女子の反感を買い、遠山の悪い噂に繋がっているんじゃないかと俺は思っているのだが。
ルイの後ろにいた俺を見つけた彼女は心底迷惑そうにルイを引き離すようアイコンタクトを送ってきた。
無視してやってもよかったが、謂れのない悪口が増えるのも気の毒だからフォローを入れる。
「ルイ、今日の英語長文訳あたるって言ってたろ。予習してあるのか?」
「あっ! 忘れてた! 恭ちゃんノート見せてー」
教室に向かう俺らを一瞥した遠山は、しかし当然のように俺への礼一つない。“これはお前の管理責任だろう”とでも思っていそうな態度。
遠山はとにかく俺が嫌いで、そしてルイのことも嫌いなようだ。
体育の後の授業はとにかく怠い。
特に六月に入ってから暑い日が続いているというのに長距離走をやっているのだから尚更疲れる。
そんな条件下だというのにこのクラスの男子の半数は体育を楽しみにしているそうで、体育中とその前後は浮き立った様子だ。何故なのかずっとわからずにいたが、さっきの授業中クラスメイトが話している内容を聞いて理解した。
どうやら目的は遠山を見ることらしい。
Tシャツとハーフパンツ姿は露出度こそ制服時とそう変わらないが、大人びた顔立ちと服装のアンバランスさはどこか背徳感があるらしく、体育後暑そうにブラウスのボタンをいつもより一つ多く開けている姿は扇情的で目が離せないという。完全に邪な理由からだった。
その話を聞いた上で、体育直後の今、教師の眠たくなるような朗読を聞きながら斜め後ろに座る遠山の姿をそっと視界に入れてみる。
汗ばんだ肌に張り付くブラウスが発育の良さを強調していて、紅潮した気怠そうな表情。
――――なるほど。
女子からはあまり好かれていないようだが、男子からは(主に性的な意味で)興味を持たれがちで、悪い噂があるにも関わらずビジュアルの良さで人気は高いようだ。これまで何人も告白しては振られているという話も聞いている。そしてそれがまた女子には面白くないらしく、良くない流れが出来ているのだ。
「あえか~、お昼食べ行こ」
昼休みになると決まって波佐間麻衣が遠山に声を掛ける。波佐間は遠山が唯一親しげに笑顔すら見せる相手で、遠方からわざわざこの中途半端なレベルの学校を選び通っているのは俺らの代では遠山と波佐間くらいだと聞く。二人は同じ中学校だったそうだが、タレント活動の類もしないのにあえてここを選んだ理由はわからない。
波佐間はポニーテールをサイドに結んでいて快活な女子で、遠山とつるんでいなければもっと友達は多いと思う。クラスメイトとは普通に交流があるようだが、遠山以外に特別親しくしている人はいないようだ。孤立している遠山を放っておけないというよりは本当に仲が良いように見える。
「私今日お弁当作り損ねたからパン買いに行きたい」
遠山がそう言うと波佐間は物凄く良いことを考えたという風に楽し気に手を叩いた。
「あ、じゃあ購買寄ったらそのまま中庭出ようよ!」
「えぇぇ……暑いのに」
波佐間に対してもどちらかというと面倒くさがる態度も多いようだが、俺やルイに対するそれと比べると可愛いものだ。
「恭ちゃん、食堂行く~?」
ルイが俺に絡んでくるのと波佐間が遠山に絡んでいる図はどこか似たものを感じる。
そう考えるとルイが遠山を気にするのもなんとなくわかる気がした。
撮影スタジオへ行く前に事務所に寄ると、営業から帰ってきた社長と鉢合わせてしまった。
「どう? 今日こそ誘えた?」
天気を確認するように問われ、無理だったと答えると笑われた。
「恭介は奥手って訳でもないでしょうに、なんでそのコにはそうなの?」
「照れとかじゃないんだって……」
世間話をする隙すら作ってもらえないのだから。
しかし社長にはそれが伝わらず、美人に気圧されて上手く話せなのだと誤解されていた。
「いや、でもね、ホントにもう、切実に誘って欲しい。出来れば夏休みまでに」
「は? いや、なんで」
ちなみに社長に対しては身内であるルイの口ぶりに引っ張られてしまうのを社長が受け入れてくれて敬語は使っていない。
「夏休みに海で撮影あるでしょ? “青春夏休み”みたいな企画のヤツ。アンタとルイと女の子一人欲しいって先方に言われててね」
ウチの事務所に以前いた唯一の女子高生モデルは受験生ということで学業に専念するため春から休業中だ。女性モデルは他にも数人いるが大学生以上の年齢で、今回の企画には使えないという。
「他所から借りるとか」
「嫌よ~、折角ならアンタら看板モデルと抱き合わせて一気にウチの新人としてバーンと顔売りたいわけよ。去年の春に美人がいるって聞いてからもうそのコに来てもらうつもりでいるんだからね」
恭介が褒めるくらいだから本物でしょうし、と続ける社長の強引さはルイと重なる。
「ホラ、最初はスポットのバイトとでも言って来てもらってさぁ。それズルズル続けて専属やってもらお」
「やり方が汚い……」
「恭介だってそのコのえちえちな水着姿とか見たいでしょ? これメンズ誌の撮影だし男子好き系の衣装用意してくれるよ」
「えちえちとか言ってんなよ……」
しかし確かに売り方としては最善かもしれない。
遠山の顔と体型ならメンズ誌で水着デビューとなれば一気に界隈で話題になるだろう。元々あの性格じゃ女性誌でやっていける気もしないし、グラビアから始めておけば各方面からオファーも来そうだ。
「……善処する」
「男の子だねぇ~」
ニヤニヤする社長に苛立ちを覚えながら、ルイが来たからスタジオへと向かった。
仕事を終え家の近くのコンビニに立ち寄ると、雑誌コーナーに遠山がいた。
俺に気付き嫌そうな顔をした彼女は求人誌と紙パックの牛乳を持ってレジに向かった。俺も急いでペットボトルを買って後を追う。
「遠山」
呼びかけると遠山はコチラは向かずに歩いたまま、しかし歩調は緩めた。
「バイト探してんの? なんかバイトしてなかった?」
その言葉で遠山がピタリと足を止める。何か地雷だったのだろうか。
「……なんで知ってんの、バイトしてたって」
「そりゃ家も隣でクラスで席も近ければ色々洩れ聞こえてくるだろ」
大きな溜息をつかれこちらも腹が立った。そもそも何をしたわけでもなく嫌われているのも面白くないのに、この態度はいい加減我慢出来ない。思わず余計な一言までぶつけてしまった。
「この前部屋に彼氏来てたのも知ってるからな」
遠山はすごい形相で俺を睨み、「近藤には関係ない」と一言吐き捨てマンションへ駆けていった。
流石に最後の一言は要らなかったよなと反省しつつ、バイトを探しているのなら尚更丁度いいのにとも考えていた。
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