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2021年8月6日
ねえ、起きて。
懐かしい母の声が聞こえた気がして、目を開ける。心配そうな顔で、娘の佳代が私の顔を覗き込んでいた。佳代の声は、母の声によく似ている。
「よかった、母さん。随分うなされていたから、どうしたのかと思って」
ふふっと笑う佳代に私も微笑み返す。
「あの日の夢を見ていたの」
必死に私を守る母。千代、と何度も名前を呼ばれた。千代、長生きするのよ、と。
病室の窓の外に目をやる。9階のこの病室は、広島市内が一望できた。
木々は風にそよぎ、夏の空は青く高い。道では何台も車が走り、人々は楽しそうに笑い歩いている。商業施設もいくつか建ち、便利な街になった。
「もうずっと昔のことなのにね。今日でちょうど76年経つのに……今でも母のことを夢に見るの」
「私のおばあちゃん?」
「そう。死ぬ前に、千代は長生きしいや、って何回も言ってたわ。おかげで80近くまで生きられたけれど。もうそろそろ母さんのお迎えが来るかしらねえ」
そう言うと、佳代は顔を顰めた。
「縁起でもないこと言わないでちょうだい。ほら、もう少しで私と美代が折った千羽鶴が完成するんだから」
色とりどりの折り紙で折られた鶴の束を持ち上げて、私に見せる。美代というのは佳代の娘、つまりは私の孫だ。孫の顔も見ることができたのだ、もはや人生に悔いはない。
あの日の原爆で被爆し、本来ならばこんなに長く生きることなんて出来なかったはずだ。きっと母が守ってくれていたのだ。
丁寧に折られた鶴に触れ、小さく笑う。
母さん。私は長生きしたよ。もう少しだけ待っていてね。この鶴が完成するくらいまで、もう少しだけ。そうしたら、母さんにありがとうって言いにそちらに行くからね。
少しだけ開けた窓から吹き込んだ柔らかな風が、返事をするように鶴の翼を揺らした。
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