悪源太義平~東国武士団の革命戦に先立つ20年前、ひとりの若武者が革命前夜の関東平野を駆け抜けた。その若武者の名は、悪源太義平。

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あとがき 1180年の源氏の旗揚げは、源氏のそれではなく、東国武士団の旗揚げであった。 既に形骸化した古代体制を打破し、東国方式による土地所有意識を政策とした鎌倉幕府の出現は、まさに一種の革命といっていいものであろう。社会的には、古代特有の土地の国有制度が崩壊し、かつての国有地の大半は、後白河法王領、八条院領として皇室の私有となり、その他の土地では「荘園」なる民有地が生まれ、さらには地方武士による私的開墾地が非合法なままに「所有」されるという事態を生んだ。かつての歴史学では、この土地所有の変遷を古代と中世の境目としたが、実際には、土地を所有し生産財とすることは近代的概念であり、どちらかといえば古代に近い。鎌倉幕府は、土地所有権の係争調停と軍事権、東国一円の租税徴収権を持つ機能別組織であり、実務的という意味では唐からのデッドコピーである律令体制に近く、その意味では、これまた古代に近い。 中世社会の特徴としては、平将門の怨霊や陰陽師に代表される非現実的思想が蔓延した時代であり、そうした空想的概念と土地という物財を求めた現実感覚が交差した時期でもあった。 この物語の主人公・源太郎義平は、そうした関東にやってきて、人々に蔓延した神仙思想を打破し、地元豪族同士の泥臭い土地争いに巻き込まれながらも、しだいに東国社会の理解者となり、東国武士団自身による土地所有を認めさせるため、中央政界への争乱への参加していく。それは貴族から武家、源氏と平家との対決といった図式だけでなく、東国方式の土地生産財と西国の貿易貨幣経済の路線選択という問題も含んでおり、その悲願は、在東国の若者に継承され、北条宗時や三浦義村のような革命家たちによって源頼朝が擁立され、最終的には源義経という軍事的天才の出現によって結実することになるが、それまでには源平合戦も含めて奥州政権壊滅まで一世代ほどの格闘を経ねばならなかった。悪源太義平は、そうした時代の先駆者であり、明治維新でいえば、天保の開明的進歩人に例えられるが、あるいは存命していれば、鎌倉幕府の初代将軍となったかもしれない彼なくして、東国の革命的気分は醸成されなかったであろう。拙作を最後までお読みいただきありがたく思います。
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