悪源太義平~東国武士団の革命戦に先立つ20年前、ひとりの若武者が革命前夜の関東平野を駆け抜けた。その若武者の名は、悪源太義平。

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この時代、地方武士は土地の所有を認められない。 苦労して開墾しても、名目上は都の貴族の名義にしなければならない。 つまり他人の名義を借りるのである。 その工作を源氏の京都における代表者である義朝に頼むのである。 その恩義で泊める、というのである。 義平は館の一間をあてがわれた。 食事も出た。 都と違って大ぶりである。 汁にはクキという旨みの醸造物が使われ、山芋がこれでもか、というくらいブチ込まれている。 それだけでも都の繊細な食事に慣れた者にはご馳走である。 ただし、飯は固く炊いてある。 それをまだ噛んでいるうち、驚くべきことに沙耶が来た。 夜具を敷き、食膳を片付けた。 「今日は川向こうで何をしていた?」 義平が尋ねると、寝巻きとなる小袖を出し、 「神社の勧請をしていました」 既にある新田領内の社を分社し、それを川向こうに新規に設けた社殿に祀ったという。 「向こうは新田の領地ではあるまい」 義平の関東土地所有地図では、源義賢という者の属地である。 「義賢殿の土地ですが、神社を祀らねば、こちらの土地が侵されます」 この時期―特に中世以降、自らの勢力範囲を示すため、盛んに武士は領地としたい土地に神社を建立、その証とした。 「土地争いか」 着替えて寝転んだ義平は、そう軽口をたたいた。 「いいえ、義賢殿が侵してくるのです。こちらが手を出さなくともボヤボヤしていると土地をとられます。それ故祀るのです」 「だが耕せば、それだけ自分のものとなる」 今はどこを開墾するのだ、新田殿は?と聞くと、 「人手が足りなく、それどころではありません」 と沙耶はいった。 「利根川ともうひとつ大きな川」 義平が話し出すと、 「渡良瀬川」 と沙耶がいった。 「そう、その渡良瀬川の間に大きな森がある。そこを開いてはどうか」 かなりの名田が得られるであろう、と義平がいうと、 「あそこはダメなのです。神様がおられます」 「神様?」 「だからダメなのです」 そういって、沙耶は立ち、部屋を出ようとした。 「そなた」 義平が呼び止めた。 「今いくつだ?」 「十五」 と沙耶は答えた。 「同い年だな」 「らしいですね」 ニコリともせず、沙耶は去った。 義平は体を伸ばし、 (同い年か) とある感触を得ていた。
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