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この時代、地方武士は土地の所有を認められない。
苦労して開墾しても、名目上は都の貴族の名義にしなければならない。
つまり他人の名義を借りるのである。
その工作を源氏の京都における代表者である義朝に頼むのである。
その恩義で泊める、というのである。
義平は館の一間をあてがわれた。
食事も出た。
都と違って大ぶりである。
汁にはクキという旨みの醸造物が使われ、山芋がこれでもか、というくらいブチ込まれている。
それだけでも都の繊細な食事に慣れた者にはご馳走である。
ただし、飯は固く炊いてある。
それをまだ噛んでいるうち、驚くべきことに沙耶が来た。
夜具を敷き、食膳を片付けた。
「今日は川向こうで何をしていた?」
義平が尋ねると、寝巻きとなる小袖を出し、
「神社の勧請をしていました」
既にある新田領内の社を分社し、それを川向こうに新規に設けた社殿に祀ったという。
「向こうは新田の領地ではあるまい」
義平の関東土地所有地図では、源義賢という者の属地である。
「義賢殿の土地ですが、神社を祀らねば、こちらの土地が侵されます」
この時期―特に中世以降、自らの勢力範囲を示すため、盛んに武士は領地としたい土地に神社を建立、その証とした。
「土地争いか」
着替えて寝転んだ義平は、そう軽口をたたいた。
「いいえ、義賢殿が侵してくるのです。こちらが手を出さなくともボヤボヤしていると土地をとられます。それ故祀るのです」
「だが耕せば、それだけ自分のものとなる」
今はどこを開墾するのだ、新田殿は?と聞くと、
「人手が足りなく、それどころではありません」
と沙耶はいった。
「利根川ともうひとつ大きな川」
義平が話し出すと、
「渡良瀬川」
と沙耶がいった。
「そう、その渡良瀬川の間に大きな森がある。そこを開いてはどうか」
かなりの名田が得られるであろう、と義平がいうと、
「あそこはダメなのです。神様がおられます」
「神様?」
「だからダメなのです」
そういって、沙耶は立ち、部屋を出ようとした。
「そなた」
義平が呼び止めた。
「今いくつだ?」
「十五」
と沙耶は答えた。
「同い年だな」
「らしいですね」
ニコリともせず、沙耶は去った。
義平は体を伸ばし、
(同い年か)
とある感触を得ていた。
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