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(いや、そうじゃあるまい。本当は)
旅立つ前、母に会いに大津へ行った。
そこで湖畔に臨む宿で、母は義平の前途を祈った。
母は、いつもそうだった。
(だが、わしは都を追われる)
神頼みして荘のひとつも貰えたか、と義平は思った。
そして、この母も義朝から十分な愛を受けたか、と義平は思った。
義平は暮れ行く川景色の中で、沙耶を見た。
(あるいは、この姫こそ、おれの神かもしれない)
現世のご利益をくれる神であるとすれば、なるほど、それはそうかもしれない。
ただ、この考えは、たぶんに仏教的で、目前の巫女少女を想うには、あまり適当ではない。
船は、対岸に着いた。
その途端、日が落ちた。
とっぷり暮れた中を、沙耶に先導されて、義平は新田館へ入る。
(ほう、これは質素な)
あまりに簡易な造りの館に驚いたが、この時点で、新田は新参の開拓者である。
隣地の足利とは兄弟の仲であり、新田は実兄であるが、先代義国以来の足利荘を弟義康に譲り、自分は未開拓地の新田郡に入り、せっせと開墾に励んだ。
そのため館も俄か造りであり、義平は待たされる間も吹きとおすこの季節の風が冷たい。
手燭が来て、義平を主殿に案内した。
その上段に、新田義重がいる。
義平は廊下に座り、段上に両手をつき、そのままドンと膝を上げた。
武家の礼法にかなった所作である。
その義平の背後に、沙耶が立っている。
義平が上段の義重に言上しようとしたとき、沙耶はある一点を指していった。
「ご挨拶を」
その指し示す先に一足の甲冑がある。
赤糸威しの玩具鎧である。
義平は威儀を正し、
「玩具大鎧、我、源太郎義平をご照覧在れ!」
と平伏した。
それを見て義重は立ち上がり、とっくりを持って義平の許へ来て、ドカっと座った。
なみなみと酒を注ぎ、
「遠慮はいらぬ。新田館といっても、ただの私名田持ち。そう固くなることはない」
いけるだろう、と進めた。
義平は杯をとると、さっと義重は、その腰元から太刀を抜いた。
「なるほど源氏累代の鬼切の太刀か。義朝殿は良い物をくれたな」
そういって、義重は、その名刀を沙耶に渡した。
「神前へ」
いわれて、沙耶は両袖に鬼切の太刀を包み、静々と主殿の間を出た。
「いい娘だろう」
不意に義重がいった。
「は、はあ…・・」
「忍ぶなよ」
義重はクギを刺した。
「義朝殿とは、土地のことでお世話になっておる。それ故、ここには置く。ただし先のことはわからん。それまで、わしの下知に従え」
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