シンクロニシティは世界を超えて

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“警告です。世界の消滅まで、あとほんのわずかです。” 蒼が飛び起きると、そこはいつもと変わらぬのどかな午後だった。 現代文の星野先生が、黒板の前でいつものように熱弁をふるっている。 「いいか、現代文はな、諦めなかったら勝機は必ずある!諦めるんじゃねえぞ!」 白けた眼差しの生徒たちに気づく様子もなく、先生は続ける。 「それでも行き詰ったらな、一番最後、(けつ)の問題から解くんだ。いいか、現代文の最後の問題ってのはな、例えるなら山の頂上だ。そこから、筆者の意図と本文の全体像が俯瞰できるようにできてるんだ。」 蒼は今まさに過ぎ去った夢を必死で追いかける。 だめだ。やっぱり何も思い出せない。 頭の中の警告は“世界の消滅”が刻一刻と近づいていることを知らせている。 蒼の胸に不安が去来した。 星野先生の檄が、教室内で空しく弾ける。 「切羽詰まったら、(けつ)から攻めろ!!」 図書室の閉館時間が告げられて、蒼は読んでいた本を閉じた。 集中してユング関連の本を読み漁ったが、これといった収穫は得られなかった。 窓の外に目をやると、青かった空が夕暮れの赤に変わろうとしていた。 蒼は校舎を出ると町へと続く緩やかな坂道を下り始めた。 途中、町全体を一望できる小高い丘のベンチに、一人で腰掛ける女の子が目に留まった。 目を凝らすと、それは沙紀だった。 蒼は逡巡の後、意を決して話しかけることにした。昨日の図書室でのやり取りで、沙紀との距離が急速に縮まった気がしていたのだ。 緊張しながら声をかけると、沙紀は意外にも歓迎の笑みを浮かべた。 それから二人並んで、地平線の向こうへ消えていく夕陽を一緒に眺めた。 「ねえ、沙紀。一人で何を考えていたの?」 「どうやったら死を克服できるか。」 意外な言葉に蒼はギョッとした。 沙紀は蒼の反応に含み笑いを漏らすと、蒼に向き直った。 「ねえ、蒼の将来の夢は何?」 唐突な質問に蒼は狼狽した。 私の将来の夢?現実味が無さ過ぎて絶対笑われる。 いや、沙紀なら笑わずに受け止めてくれるかも。 「笑わないって約束する?私・・、パイロットになりたいの。しかも旅客機じゃなくて戦闘機。大空を戦闘機で駆け巡りたいの。錐もみ急降下~って。すっごく気持ちいいと思わない?それにかっこいいじゃん、女性パイロットって!やっぱり・・変かな?」 沙紀はきょとんとして聞いていたが、それから下をむいて肩を震わせた。やがて体をのけ反ると、ベンチの上で笑い転げる。 「ちょっと!!笑わないって言ったじゃん!」 拗ねて背を向けた蒼にかまわず、沙紀はいつまでも笑い続けた。こんなに無邪気に笑う沙紀を見るのは初めてだった。蒼は心が解れていくのを感じた。 この笑顔を独り占めできたらどれだけ幸せだろう。 薄い紫が滲む空の下、西日が雲も木々も街も世界の全てを黄金色に輝かせた。 風が吹いて沙紀の髪が揺れると、淡い金木犀の香りがした。 蒼の胸に去来した不安はもはやどこかに消し飛んでいた。 このまま世界が凍り付いて永遠になればいいのに・・。 「じゃあ、沙紀の番。沙紀の将来の夢は何?」 沙紀は涙をぬぐうと、再び遠くへ視線を戻した。 「私の夢は死を克服すること。不死身になるってことじゃないよ。死の概念を変えたいんだ。太古から死は不吉で忌々しいものの象徴で、皆それから逃れようとしてきた。死で閉じる以上、人生の物語は常にバッドエンド。でもね、永遠の命ほど禍々しくて悲惨な状況はないんだよ。誰もそれに気づいてない。」 「どうやって死の概念を変えるつもり?」 「死を待ちきれないくらい魅力的なものに変えるんだ。死の直前、人生で最も幸せだった時間を追体験できるとしたら?私の夢は人が幸福の内に死ぬための幻影世界を構築すること。」 蒼は不穏な既視感に襲われた。 私は遠い昔、この場所で沙紀から同じ話を聞いたんじゃなかったっけ? 蒼の戸惑いをよそに、沙紀はどんどん熱くなる。 「人間の記憶のメカニズムはどんどん解明されてる。長期記憶は単独の神経細胞やシナプス結合に格納されてるんじゃないの。記憶とは脳内のニューラルネットワークそのものなんだ。あるネットワークの組み合わせが、特定の記憶に対応している。だから最も幸福だった時間を表象する神経結合のパターンさえわかれば、それを刺激して同じ世界を脳内に構築できるはず。現実世界と区別がつかないくらいリアリティを伴った幻影世界を。」 沙紀は将来、必ず夢を叶える。蒼はなぜかそれを知っている気がした。 「原理的に電気刺激装置は十分に小型化して脳内に埋め込むことが可能だと思う。生命兆候は常にモニターされ、臨終を正確に予見する兆候が感知され次第、任意のニューラルネットワークを発火させる持続刺激が発動するんだ。実際の作動時間は数分だけど、幻影世界での時間は数日から数週間に感じるんじゃないかな。」 そして、沙紀は死に魅せられる。自ら被験者となる誘惑に抗えなくなる。 蒼の記憶を覆う霧が徐々に薄くなる。 「ニューラルネットワークの利点は冗長性があること。幻影世界にいる人間は過去の記憶をなぞるだけじゃなく、自由意思を発動してどんどん記憶を書き換えていくことが出来るんだ。」 そうだ。 沙紀は20んだ。 「だめよ、沙紀!そんなものを開発したら不要な自殺者が急増してしまう。それに虚構の世界と気づかないまま死に至る可能性だってある。それって人間の尊厳にとって正しいことなの?最後に正気で死と向き合い、人生を見つめ返したい人もいるはずよ!」 沙紀は蒼の必死の形相に戸惑い、少し考え込んだ。それから顔を上げる。 「蒼の言うことも一理あるね。追加機能の検討が必要かもしれない。最後の最後、幻影世界に留まるか現実へ帰還するかを自己決定できるような機構。そして幻影世界だと気づかせるためのサイン。こんなのはどう?定期的に警告を発するの。“あなたの幻影世界はあとわずかで消滅しますよ”って。」 えっ。 瞬間、蒼の脳に甲高い警告音が鳴り響いた。 “これより幻影世界が消滅します。引き続きこの世界に留まりたければ意志表示をしてください。繰り返します、これより・・” 蒼は全てを思い出した。 どうしても思い出せなかった夢。思い出すことを精神が拒否してしまうほど残酷な悪夢。 あっちが現実で、こっちが夢だったんだ。 “意思表示が確認できませんでした。” 沙紀の美しい顔がぐにゃりと歪む。 声が徐々に遠ざかる。蒼は沙紀の最後の言葉を聞き洩らさないよう集中した。 「蒼の夢。きっと叶うよ、だから絶対諦めないで。」 (いいか、現代文はな、諦めなかったら勝機は必ずある!諦めるんじゃねえぞ!)  “これより
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