鎮花祭 

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お父様はある夜、私に、「村のために死んでくれ」そう言いました。   我が村「あづち」は人工およそ百にも満たないほどの、小さな小さな村。  日本の遠い昔から存在する、最古の村です。   私は、そんな村の、桜の大樹の近くにある家「冴木」の次女として、この世に生を受けました。  数年前に生まれていた私の姉であったひとは、生まれてから数ヶ月の後、病で息を引き取り、桜の根元に埋められました。  その話を聞いてからというもの、私にとって桜とは、血肉が繋がった姉のような存在になっておりました。 浮世の辛いこと、悔しいこと、ままならぬ想いを、夜にそっと家を抜け出し、桜に話しかけていました。  桜は何も言いません。  ですが、暗闇の中、凛とした淡い薄紅の光を放つ美しい春の花弁は、私を癒し、話し終えるとすっきりとした心地になっているのでした。   私がそんな日々を送り、生まれてから十六年目の春を迎えた年。  村で、流行病が起こりました。  原因は、井戸の水でした。  花見で酔っ払った者が、水の味をよくしようと、夜中に井戸に投入した酒がよくなかったのです。酒は腐っておりました。  その次の朝、水を汲んだ者が、その水で、春の宴のための白い味噌汁を作りました。昼に村の中央で、赤い布を敷いて、並んでやってきた者たちに、味噌汁を配りました。小さな子から、老人まで、喜んでその味噌汁を飲みました。  白い味噌汁を春に飲むことは、「あづち」の恒例だったので、皆はじめは美味しい美味しいと言っていたのですが、誰かが去年の味噌汁の味と違うと、不思議に思ったのも束の間、飲み干した者の中に、泡を吹いて倒れた者がおりました。  それが発端となって、次々と、腹を押さえ、苦しみだす者、熱を出して倒れる者、蕁麻疹を起こす者などがーー。  楽しく愉快な春の席は、地獄絵図になりました。   それを見かねた父は、今宵、私を呼び出しました。  そして、青い顔で脂汗を額に浮かせながら、私の両肩を、その大きな両手で強く握りしめ、「村のために死んでくれ。鎮花祭を行う」と言いました。   神主だった父に習い、私は巫女になっていました。白い上着に血のように赤い袴を履いていた私は、動揺しましたが、桜の姉と対話する中で、自分もいつか、姉と共に桜の下で眠りたいと思うようになっていました。  それは、浮世が嫌だったのではなく、どこか、別の世界に魂を預けたいという不可思議な気持ちがあったからでした。  私は処女(おとめ)で、このまま成長し、誰かの嫁になって、女になるのを人一倍恐れる気持ちがあったからです。   父のいう「鎮花祭」は、桜が散る頃にはやる疫病などを鎮めるための祭りです。  実際に、花散る頃に疫病など流行ったことがなかったので、今までは表立って行われることはなかったといいます。  私は父から教えていただいた所作を覚え、人々が苦しむ中を横切り、夜の桜と向き合いました。  姉桜は、今宵もとても美しく、それが逆に切なく感じました。漆黒の闇の中、村人たちがどれほど死への苦しみにもがこうと、関係なく。白に一滴の紅を垂らしたような淡い靄の桜の花弁の重なりは、月の光を浴び、暈を増していました。  そして、そこから舞い散る花弁は、銀紗のようで、私はそれを見ているだけで、まなじりに涙が溢れてくるのです。   散る花弁とともに、涙をはらはらと流しながら、私は紅色の扇を持って舞を踊りました。ゆったりとした動きで、一つ一つの「止め」の所作を終わらせて行きます。   傍で、父が茣蓙の上で正座をして、肩に太鼓を担いで叩いていました。その音に合わせ、私の動きは段々と滑らかになっていきます。はたから見ると、艶かしく感じられたかもしれません。男に抱かれる女のように、息を乱していきました。体の内側に隠れていた卑しい気持ちが、全て肌から外へ、汗のしずくとなって現れていきますーー。  気づけば私は腰をくねらせて、桜の根元に頽れました。  顔をあげると、目に映ったのは、月光と重なり、煌びやかに光る、桜の花、そして、立ち上がり、私の首を斬ろうとやってきた父の泣き顔でした。  そう、「鎮花祭」は、舞手の首を落とすことで完成するのです。   黒の柄から刃が引き抜かれ、桜の花の光を受けて、淡い薄紅に光るその刀身に息を呑んだのも束の間、父の「ごめん」という低い声と共に、私のこの世での意識は、途絶えました。     後日、私の遺言通り、私の遺体は、桜の根元に埋められました。  白い棺の中、生き残った村人たちが、涙を流し、感謝の言葉を述べながら、一人一人が手折った色とりどりの折り鶴を共に入れてくれました。私は、折り鶴が好きでしたから、皆が来世への祈りを込めてくれたのです。   体と共に納められた、私の頭。   埋められてから数ヶ月が経ち、額のあたりから、紅色の(つの)が生えてきました。ああ、私は、いよいよ人ならざる者になっていくのでしょう。   棺の中で感じていた孤独は、ある時泡が弾かれたように消えました。  姉の魂が、私を迎えにきてくれたのです。  その色は、春の桜の色と同じ、優しい薄紅でした。   姉は、私の角に触れると、そこに身を宿しました。   暖かなものが額に触れて、私はいつの間にか涙を流していました。  こうして、私もここから、姉と共に、「あづち」の仲間たちを見守り続ける神となったのです。
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