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合わせ鏡の殺人鬼
今日もまた、俺は夜の街を歩く。
次の獲物を探す為に。
俺の名前は山ノ井 睦月。
地味な名前に地味な顔。
そう自虐すると「睦月なんて名前は洒落ている」と返ってくるが、単純に、1月生まれだから睦月なだけだ。
特に何かしらの意味や意図があるわけじゃない。
普段の俺は、カフェでアルバイトをしている。
存在感がないからか、この作り笑いの笑顔で騙されちゃうのか、未だ気づかれてはいない。
もうひとつの俺の顔、それは今この街で最も話題の殺人鬼。
『透明な存在』
かつての少年犯罪者の言葉が、俺にはよく理解できる。
愛情の対義語が憎悪だなんて、絶対に嘘だ。
憎悪は少なくとも、“相手が存在する”と認識しているのだから。
愛情の対義語は無関心。
認識されないこと。
存在しないと思われること。
これこそが、人間にとって最大の恐怖だ。
そう考えると、暴行による虐待死より、ネグレクトによる餓死や一人暮らしの部屋で孤独に病死していく方が悲惨なのかもしれない。
「なーんてね。こんなの、殺人鬼の言葉じゃないよね」
自嘲の笑みを溢す。
俺は殺人鬼。
決してもう、人間には戻れないのだ。
連日の報道のせいか、夜とはいえ人通りが少ない。
事件前までは若者や仕事帰りのサラリーマンで賑わっていたコンビニも、閑古鳥が鳴いている。
あーあ、俺ってば営業妨害しちゃってるよね。
……と思いつつ、一切反省する気はない。
こんな時にまで仕事なコンビニ店員に同情しながら笑みを向け、コンビニの店内をぶらつくと……いた。
こんな時に、たった一人で夜の街を彷徨く女性。
ふんわりとした柔らかなセミロングの髪。
黒のストレートパンツに、ピンクのシャツ。
その上には淡いピンクのカーディガン。
眼鏡をかけたどこかおっとりとして大人しそうな地味な女性が、レジに向かっていた。
そんな彼女の背中を見ていると、
誰か、私を見つけて。
私を認識して。
私の存在に気づいて。
そんな声が聞こえた気がした。
「獲物、見ぃつけたっ」
俺は思わず、舌なめずりをする。
彼女は教師だったようだ。
ほとんど明かりの消えた、暗い校舎に入っていく。
俺はセキュリティをハッキングで解除して、校内に忍び込んだ。
「いや、殺人鬼がうろついてるのに、流石にこれはないんじゃない?予算の問題?いやでも女性が残業してるんでしょ?昔っから学校って教師の扱い雑だよねぇ」
警備の甘さに飽きれつつ、しれっと校内に侵入した俺は、彼女の後を追う。
彼女は理科室へと入って行った。
理解教師?
……ちょっと意外だった。
何となく、文系な教科をイメージしていたから。
理科室に着いた彼女は、白衣を羽織って理科室の椅子に座った。
白衣を着た彼女は、先程までのふんわりした印象は薄れ、理知的な雰囲気を漂わせる。
椅子に座って溜め息を吐いた彼女は、コンビニのビニール袋を理科室の机に置き、マウントレーニアにストローを突き刺して、何かを読み始めた。
俺はくくっと笑って、そっと彼女に近づく。
「随分不用心だねぇ……センセイ?」
そして、ヒタリ……と、彼女のその細い首筋に冷たいナイフを触れさせた。
だが、彼女はピクリともしない。
飲み物片手に本を読んだまま呟く。
「あぁ、連続殺人犯がまだ逮捕されてないって職員会議で騒いでましたねぇ…………貴方ですか?」
何気ない日常会話のように、淡々と。
なんだ、こいつ……。
動揺を隠して、俺も続ける。
「うん、そう。まさか自分が被害者になるとは思わなかったでしょ?」
ニヤニヤと笑って問いかける。
これでマウントを取った……つもりだった。
「確かにそうですね。でも、これもある意味運命かもしれない……そんな気もするんですよ」
クスリと、彼女が笑う。
この時になって、やっと机の上が目に入った。
先程のコンビニの袋と共に、乱雑に散らばる書物は、殆どが解剖書や解剖写真で……。
「私自身、私の体内がどうなっているのか、興味はあったんです」
「…………は?
「解剖したいとも思いました。ただ、解剖しても誰も見聞してくれる人はいないじゃないですか?」
ふんわりと柔らかく微笑みながら、彼女は言う。
「私の身体で良ければお好きにどうぞ?思う存分引き裂いてくださいね殺人鬼さん」
「……あの、いや……」
「ただし、私の体内をしっかりと、余すことなく見聞してくださいね。記録も残してくれると嬉しいです。よろしくお願いしますね」
まるで話題のカフェにパンケーキを食べに行こうと誘われでもしたかのように、軽いノリで彼女は笑う。
「頭、おかしいんじゃねぇの?」
「よく言われます」
クスクスと笑う彼女に、戸惑うと同時に興味を抱いた。
「先生、名前は?」
「管原 野々花です」
「可愛い名前だね」
「でもマッドサイエンティストです」
笑顔で言い放つ彼女に、俺はもう、マウントを取ろうとするのを諦めた。
ナイフを彼女の喉元から離して、折り畳んでポケットに放り込むと、彼女の隣に座る。
すかさず、マウントレーニアが差し出される。
「飲みます?期間限定のメープルラテですよ?」
「いや、俺は今さっき君を殺そうとした殺人鬼……」
「マウントレーニア嫌いです?」
「いや、好きだし、飲むよ?」
崩れっぱなしの予定に頭を抱えながら、ストローを差してマウントレーニアを飲む。
久しぶりに飲んだマウントレーニアは普通に美味しかったから不覚だ。
「あのさ、管原先生?」
「野々花でいいですよ。貴方の名前は?」
「山ノ井 睦月」
いや、何普通に答えてるんだよと机に突っ伏すと、隣で彼女は笑った。
「睦月さん、結構真面目ですよね?」
「煩いなぁ……」
「既婚者です?奥さんか彼女さん、いらっしゃるんですか?」
「いや……俺、非正規雇用だし?カフェのアルバイトだし?結婚どころか彼女いない歴イコール年齢ですよ」
しくしくと泣き真似をすると、ますます彼女は笑う。
「そういう野々花ちゃんはどうなの?既婚者?」
「こんなマッドサイエンティストな女を恋人とか嫁にしようなんて男性、います?家事とかまったく出来ないですよ?部屋とか恐ろしい惨状ですよ?」
「…………そう」
「そんな女に、価値なんてないですよね。男の人はみんな、可愛くて家事が完璧にできる、仕事や趣味より家庭や家族を大切にする女性を求めてるんですもの」
ほんの少し、彼女の声が翳った。
顔を上げると、悲しげな、寂しげな表情で笑う彼女。
だから私に存在価値なんてないんです。
存在価値のない私に気づいてくれる人なんていないんです。
だから私は空気のような存在なんです。
世の中の、『当たり前の女』になれないから……。
「ねぇ、野々花ちゃん」
「…………?」
「俺と一緒に暮らさない?」
何でこんな提案をしたのか、実は俺にもわからなかった。
この時はただ、気づいたら口にしていた。
本当に、無意識だった。
「殺人鬼と同居ですか?それって罪に問われません?」
そりゃそうだ。
我ながら何を言い出してるんだ、俺は……。
頭を抱えて唸っていると、ポンポンと肩を叩かれた。
ポカンとしながら彼女の方を見ると、白い何かを差し出された。
それがコンビニのレシートの裏に書かれた彼女の住所と連絡先だと気づくまでに、1分くらい時間が掛かったと思う。
「これ、何?」
「私の住所と連絡先です。同居するんでしょ?それとも私が睦月さんの家に行きますか?」
思いきりが良すぎるというか、何というか。
飽きない……いや。
「君と一緒にいると、楽しいかもしれない」
俺が微笑むと、彼女はビシッと指を突き出した。
「ただし、面倒臭い展開は嫌ですので、捕まる前に私を解剖してください」
「いや、それ殺人鬼に頼む?」
「殺人鬼だから頼むんですよ……睦月さん」
彼女の眼鏡越しの視線が、俺を射抜く。
「約束してください。絶対に、捕まる前に私を解剖してください。内側も、外側も、私の全てを貴方の脳髄に刻み込んでください」
そして、私の存在を証明してください。
私がこの世界に確かに存在したということを証明してみせてください。
この時、なぜ俺が彼女に相対すると、こうも調子が狂ってしまうのか……わかった気がした。
彼女は鏡の向こうの、もう一人の俺なのだ。
誰かに気づいて欲しい、認識して欲しい、存在を証明して欲しいと叫んでいる。
合わせ鏡の向こう側の俺。
「わかった、約束するよ。野々花ちゃんがこの世界に確かに存在していると、証明してやる」
殺すとも、解剖するとも言わなかった。
きっとそれは彼女の本当の目的ではない。
本当の目的は存在証明。
そして、それは俺自身も心の底から望んでいたもので……。
俺に残された時間は少ない。
俺はどう足掻いても既に殺人鬼で、善良無垢なあの頃には戻れない。
でも、彼女の願いは叶えてやりたいと思った。
もっと早くに出会っていたら、俺も罪を犯さずにいられただろうか?
しかし、もう遅い。
「これからよろしくね、野々花ちゃん」
俺は乾杯でもするように、彼女のマウントレーニアに自分のそれを重ねた。
徹頭徹尾、カッコ悪くて締まらない関係。
でも、それもいいかもしれないと思ってしまったから、俺も末期だ。
「君は確かに今ここにいる。そしてこれからもここにいていいのだと。君にはその価値があるのだと、俺が証明してみせるから」
例え残された時間が僅かでも、俺は絶対に、必ずそれを証明してみせる。
俺が消えても、君が胸を張って前を向いて歩いていけるように。
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